過去のトップ 外部へ
 生態系はあまり得意じゃない。植物も動物も全く名前が分からない。聞かれても、調べておきなさいって言うしかない。分かりませんねえ。見下げたように「分からないんだ。」って言われるとやや辛い。けれども「分からん」って答えることのほうがが良い。土壌動物を観察したい。多分未知な部分が沢山ある分野だろう。分解者と言って全部一括して細菌もダニもトビムシもムカデも一緒くただ。足元でどんな世界が繰り広げられているかよくわからない。教科書で頭の中だけで知っているだけじゃ、21世紀の知識とは言えないだろう。ただ、40名で一斉に実施するには問題がある。①双眼実体顕微鏡が欲しい。8台あるらしい。40名割る8で5名に一台だ。5名で1グループか。ふ~む。面白くない。ルーペがある。ルーペの使い方を知らない若者がたくさんいる。使ってみるのも良いが、ちょっと見るぐらいでおしまいになるだろう。4名は普通の顕微鏡で見るしかないだろう。シャーレにろ紙を敷く。生きたものを観察したければ、水で濡らしておく。アルコールを入れておけば死ぬだろう。きっと気持ち悪いだろうと思って、アルコールで殺したが、生きたもののほうが人気が高かった。②ツルグレン装置はグループに一台は欲しい。8台必要だ。普通そんなにない。2台あったとして6台分どうするか。・・・ちょっと困った。白熱電灯がさらに6台分いる。(LEDしかなくなったらどうしましょうか。)ツルグレン装置は極めて簡単な装置だ。網の上に土を乗せて上から白熱電灯で照らすだけだ。網の穴から逃げてくる生き物をロートで集めてやろうというだけだ。本当かどうか私は疑問に思っているが、土壌動物が光と反対方向へ動く性質があるらしい。(負の走光性)土が乾燥してくるから、熱くなるから、土の深部へ逃げていく。最後は網から落ちる。40名で装置1台や2台で「ちゃんとやれ」はないだろうと思う。面白くするには目の前で生き物が落ちてくるところを見る必要がある。カニムシが一番格好良いと言えば、皆興味を持って探し始める。名前がわからないからっていう人がいるが、ダニとかトビムシとかのそれぞれのグループについて、個体数1番から順にその個体数をグラフにすると指数関数的に減少する。たいてい5種類も分かれば、黙っていれば全部分かっているようにみえる。③大量の腐葉土のような土が実験室に貯まる。が、しかし、ごめんと言うしかない。細菌を除けば、ダニとトビムシは個体数では土壌生物の二大勢力だ。けれども、何を食べているのか、とか、どんな世界を展開しているのかはっきりしていない。ビニール袋に土壌を入れて封をする。一括して分解者が呼吸をすれば、二酸化炭素が増える。入れておいた湿らせたろ紙は二酸化炭素を溶かしこんで酸性になっていく。フェノールフタレインの色の変化でわかる。たしかにそうだがいかにも大雑把だと思いませんか。細菌ならまだまだ未知なる菌が未知なる抗生物質を作っているかもしれない。生き物の飛び道具は面白いだろう。、
昔、ペニシリンがやっと世に出始めた頃、私は鼻垂れ小僧だった。最近はあまり見ないが、過つては皆そうだった。たいてい服の袖は光っていた。日本はそこそこ貧乏だっただろうが、自分はそんなことは考えたことはなかった。おやつなんかはないか、蒸し芋か、トウモロコシだった。確かに美味しかったような気がする。皆で蒸かし鍋を囲みながら、食べれば喧嘩もしたが、美味しかった。小学校時代、臨海実習があった。初めてテトロンの半袖シャツを持たせてくれた。一回も着ないままカバンから消えた。下着で帰ってきた。別に悔しいとか、この野郎とか、そんなことは思わなかったが、一度は着ないと親に申し訳ないと思った。今から思えば我々は結構貧乏だった。やがてテトロンのシャツが普通に買えるようになってきた。
 いつの間にか日本は裕福になってきた。アジアの人が羨ましがるようになってきた。「日本人は金持ちだから」って何度も言われた。そうなんだと自分でも思うようになった。TVはもちろん車だって冷蔵庫、エアコン、・・・なんでも買えた。贅沢を言わなければ今は欲しいものはない。もっとも最近は買えないようになってきたが。コンピューターも乾燥機も、洗濯機も冷蔵庫もちょっと具合が悪い。いつ壊れるかわからないが、買い換えられない。収入は減るだけだから。何処からも金が生まれない。税金を初め公的支払いの割合は収入に対して増えるばかりだ。福祉施設から寄付を募ってくるのだが、これから先、自分が生きることに精一杯だ。
 知らない間に、学校の諸費用も高くなってきた。体操服、修学旅行費、スリッパ、副教材、制服・・・。裕福になってこれぐらい大丈夫だろうって、何でも高くなってきた。そしてそのままだ。授業料が無料になっても、その他の費用がすでに高くなっている。授業料が無料になれば、他には何もいらないように思えるが、その他の費用が結構高い。
 日本は裕福になってきたと思っていたのに、貧しい生徒が沢山出てきた。修学旅行費が払えないとか行かないから返して欲しいとか今まで経験したことがなかった。ちょっと前、県は授業料を払わなければ、除籍処分にすると言ってきた。そもそも教員にそんなことを言ってくるとは何事だと思う。先生が率先して生徒の除籍をする学校はどんな学校なんだろう。高額な携帯電話の利用をやめたらどうかなどとちょっとは思うが、けれども苦しんでいる生徒には涙が出る。アルバイト代で家計を支えている高校生がいる。こういう子たちは、それでも決して親を責めることはない。事務長が集金に行くことがあったらしい。授業料を払ってくれと言えないで帰ってきたらしい。言っても無駄だ。ない。千円札を見ながら、今日 一家どうやって食べようって考えている生徒がいるのだ。電気を消して居留守を決めて隅で固まっているのだと言う。人が訪問して来ないだろうと思える真夜中まで家に入れないのだと言う。この国はどうなっちゃったんだろうって思う。     2016/2.17-経済苦で高校中退5000人超の記載がネットにあったので再びアップしました。ついでに、これで高校の単位なのかって言われている。が、しかし、割り算はもちろん3桁の引き算ができない生徒が、高校へ入学してくる。この現状をとやかく言うつもりはないが、高校の教科書では授業ができない学校は沢山ある。けれども前向きに学ぼうとする生徒を見捨てないのが教師だと思っている。だから、授業の工夫をしている先生はたくさんいる。数学も英語も生物も高校の教科書の授業にはついて行けなくても社会ではすごい仕事ができるチャンスがあると思っている。だから、このHPではPV=一定なんか知らなくてもかまわないと思って作っている。でも、小さな風船を押し付ければ分かるかもしれない。それとも空気入れのほうが良いかもしれない。事故を起こさないように学び、発見をして創意工夫をして生きるために学ぶ。何はともあれ、裕福じゃなくても、幸せには生きたい。
今年も卒業式の季節になった。何年も昔のことだったが、最後の式だった。手紙をもらった。何回も読み返した。「たいして面白くない面白い実験でたしかめる生物の不思議」身勝手なニュースより。こんなところに書くと怒るかもしれないが、怒らないで辛抱してください。君の涙を見たら4年間が一気に暴れだした。涙は暴君だった。私のすべての組織を、心をも支配しようとした。

同じことを書いちゃうかもやけどごめんね。
おじいちゃんには一番感謝してるし、一番お世話になったし、一番心配もさせちゃった。一年生の頃は、あまり関わることもなかったし、心配もかけることはなかったはずやけど、一年生最後のテストの時サボって学校こなくて、テストを受けず四年生決定になってからだよね。あの時は、本当にゼミ担やった**先生からもめっちゃ電話かかってきて、怒鳴られて、親からの連絡もすごかったのにうざいとしか思われんくて、こうゆう結果になっちゃって、学校に卒業するか、辞めるか話に来たときは本当に悩みました。友達と一緒に卒業できないし、1年余計に行かなかんってのは、めっちゃ自信がなかったし。でも、今は本当にあの時辞めてなくてよかったと思う。心配して怒鳴って電話くれた**先生の気持も続けさせてくれた親の気持ちも分かる。
 2年になって学校へ行くようになってだるかったし、めんどくさいと思ったけれど、いろんな先生方や友達のおかげでここまでこれた。3年になって**さんたちが卒業した時、一気に寂しくなって、3年間一緒にやってきたクラスの奴もいなくて、毎日が辛かった。でも、おじいちゃんは**に会うたびに「**大丈夫か?」「がんばれよ」って声かけてくれて、救われた。こんなに心配してくれる先生がいるんだって思えて、じいちゃんのためにも卒業したいって思った。
 ゼミ担になってからは、毎日毎日**が学校に来てるか心配してくれて、**の顔みに食堂へ来てくれた事も全部全部うれしかったよ。ギリギリまで休むから最後まで心配かけちゃったけれど、これでやっとおじいちゃんを安心させてあげれたかな?やっと卒業できたよ。
 弱音ばっかりはいて、不安にさせちゃってばっかで本当にごめんね。おじいちゃんの生徒でよかった。
 おじちゃんと卒業できて本当によかった。ありがとう。
おじいちゃんはボケているようで、ボケてなくて、しっかりした最高の先生だよ。一生おじいちゃんの事自慢していきたいと思う。
 これから安心して家でゆっくり過ごしてね。今まで本当にありがとうございました。**のことずっと忘れないでね。また会えるよね?元気でね。大好き
                                         **より 
もちろん。会えるさ。また思い出しています。2016 3/3
これは随分昔の話だ。二人ペアになって学校を巡回したことがあった。生徒の休み時間の様子を見るのだといったが、本当は生徒を信じられないから、見回りをするわけだ。向こうの方から一人昇降口へやって来た。私はすぐピンときたが、見過ごして行くつもりだった。ずるいかもしれないが、目くじらを立てるほどのことではないと思った。二人というのは最悪だ。相棒は「ちょっと」って声をかけた。持ち物検査が始まった。・・・案の定、タバコが見つかった。
 どうしたんだって聞いたら、突然くしゃくしゃになって泣き始めた。「僕はもう学校を辞めなくちゃならんのでしょうか」「今までもう何回も叱られました。もう吸いませんって約束もしました。今度は学校を辞めますって言いました。」 で、「何でまた?」「先生、僕は皆に虐められているんです。」「女子も僕を虐めるんです。」「今日も筆箱を接着剤で接着されていました。・・・。靴も鞄も。」「どうしようもなかったんです。たまらなくどうしようもなかったんです。たばこを吸いに出てきました。」そう言って、くちゃくちゃになる程に泣いた。「君は絶対に学校を辞めるって言うな。」 って言った。彼が退学を迫られることがあれば、守るつもりだった。けれども、自ら退学の道を選んでしまったらどうしようもない。言ってはいけない言葉を伝えておいた。もちろん虐めの実態の調査と対策は実行した。その後職員室で出会った彼の顔は綺麗だった。
 一体どうしてこんなことが起こるのだろうか。万引きの誤った記録で自殺した中学生がいたらしい。何回も会議をしただろう。たいてい校長だって同席していると思う。当時の担任が資料を見ればすぐ誤りに気がつくだろう。この事件は謝って済むことじゃないと私は思います。PCの資料を疑わないと誤る。昔、家庭用のPCが発売され始めたころ、10万円ほどでシャープのmz-700を買った。basicと機械語エリアを持っていた。機械語でプログラムを作るのは極めて難しかった。理解できなかった。PCは暴走しかしなかった。basicぐらいできないとこのPCは持っている意味があまりなかった。basicで採点プログラムを作ってみた。カードリーダーはなかったから、1つずつ回答を入力するしかない。実に簡単なプログラムだった。けれども2度とこれで採点しようとは思わなかった。生徒の回答を入力するのは極めて面倒だった。PCが出力した採点用紙を返した。誤りの訂正を宣告したら、一人も来なかった。「コンピューターが採点したから間違いはありません。」生徒はそう言ったが、私が入力ミスを犯していれば、入力ミスによる採点ミスは今まで以上にあっただろうと思うが、黙って、授業をすすめた。
 生徒指導って一体なんだろうって、考えたほうが良いのかもしれない。2年以上前の過ちは反省して正しく生きても拭えないものだろうか。高校入試や推薦大学入試を生徒指導に使うのはあまり褒めたものではないと思います。入試を目の前にぶら下げて生活指導をするのが今の日本の学校の現状だと思う。善悪は損得じゃなくて直球で向き合うべきだと私は思います。マシーンのような仕事をしているからこんなことになる。
これは1月か2月、それとも3月だっただろうか。2年生の終わりの頃だった。生徒の家で小火があった。大事には至らなかったが、どうしたものか。放火だった。詳しい理由は分からないが、精神的に追い込まれていたのだろう。私は進級させてやりたかった。誰かがお前は甘いって言うかもしれないが、原級留置にしても何も得る物はないだろう。多分、反対する先生もいただろうが、押し切って原級留置にも処分もしなかった。数学の不合格の小テスト。英語の不合格小テスト。1ヶ月や2ヶ月で取り返すことができるような量ではなかった。
 定期テストは合格点に達しているのだから、数学、英語の先生に進級を認めてもらった。続いて、虫が良すぎたかもしれないが、不合格の全ての小テストをチャラにして欲しいと言った。ゼロから新しいスタートを切らせてやりたかった。進級を認めるのなら、全部チャラにしてそれでもだめなら、改めて、原級留置にすれば良いと言った。皆きっとしぶしぶ認めてくれた。
 昔、理科の授業中に数学の勉強?をしているものを見つけた。教壇から見るとよく分かる。内職をしているものは目の方向が違う。他のものとは動きがちょっと違う。だからすぐ分かるのだ。(教壇を降りてやや後ろから話しながら、歩いて行く時は机の下に隠しているものを斜め後ろから確かめるのだ。教壇を右とか左とかに移動した時は斜め前からよそごとをしていることを確認するためだ。たいてい分かる。)大抵は見過ごすのだが、たまたま、スーッと横へ行った。「何をしているんだ。」「窮地に陥っているんです。」「今日、ラストチャンスなんです。これで合格しないと不合格になってしまいます。」「全く分かりません。このプリントから出題されるので、暗記しています。」「・・・。」とても何かの役に立つとは思えませんでした。今何かを伝えてやれる状況ではありませんでした。はっきり言えば教員が悪い。これで合格しても分かるようにはならないだろう。ごめんねと呟いて授業を再開した。数学を暗記して卒業していく者が何人かいたのだろう。こんな勉強ならチャラにしても問題はない。一からやり直さなければ分かるようにならないだろうと思った。が、しかし、「でもしか**」だった。結局何もしてやれなかった。 スマイルハウス(外部へ出ます)
 理科でも数学でもわからないことはそれほど問題じゃないと思う。分かろうとしないことがもっと問題だ。共通一次試験とかセンター試験とかになって数学は暗記すればなんとかなるようになってきた。そんな勉強法を応援した時もあったが、申し訳ないことをしたと今は思っている。焦らずに基礎と基本を繰り返しやればいい。どうしてなのかが分かれば面白いだろう。面白ければ問題は何もない。10年とか20年、30年先を楽しみにすれば良い。
 
過去のトップ 外部へ
 
 昔、沖縄へ修学旅行の引率をしたことがあった。プライベートビーチを持ったリゾートホテルに泊した。ビーチには監視員として教員が交代であたった。室内プールがあることは知らなかった。何名かがプールを利用した。大丈夫でしょうか。禁止したほうがいいのではと連絡があった。けれども、ホテル専属の監視員がいる。しかも、教員が一人プールに入っていた。生徒にもこのホテルの施設を最大限利用する権利がある。何でも利用したら良いと言った。
 顕微鏡の使い方を教えることにした。ドラえもんシールのレプリカを洗濯糊で作った。レーザーポインターの光を当てると壁にドラえもんが現れる。100円ショップで購入したクリスマス飾りランプをこのシールを通して見るとドラえもんがいっぱい見える。顕微鏡で観察したら最後はおみやげだ。夜景を見るとドラちゃんでいっぱいになる。ただし、糊だから、雨に濡れたら溶けてしまいます。
 さて、あれは駄目、これは駄目という実験はしたくなかった。初めから全部中学では叱られたかもしれないこともやることにした。接眼レンズの蓋をとって中の棚を見た。鏡筒をドンドン上げて、はずしてしまった。ピントネジと鏡筒側のネジヤマの作りを見せて、力を加えるとヤマが壊れることを説明した。ピントネジを左右に持って、ピントあわせの強さの調節の仕方も説明した。絞りの使い方は結構難しいがカメラの写真の前後のボケ程度の画像の原理と同じだ。危険を伴うことは禁止するから必ず指示に従えば、沢山自由に実験ができる。ポインターを人に向けないことを守ることができれば使っても良いと言った。
 さて、生徒はもう待てないドラえもんシールに隠された秘密を勝手に探り始めている。キティイちゃん 、ピカチュウもある。ポインターの光を当てて白い壁に写せば中身がわかる。火星の都市のような街並みが見えてくる。ドラえもんはここに隠れている。ここから後は僕にはわからないから、ネットで学ぶか、物理の先生に教えてもらうかだ。最近ではハートぐらいならPCで印刷ができる。
 顕微鏡の能力を最大に発揮させるにはきちんと使い方を学ばなければならない。光学顕微鏡の最大理論的倍率は2000倍だ。これ以上拡大するには可視光線では無理です。で、1000倍以上で観察するには正しい使い方をしなければいけません。  次は私達はフックになるだろう。こんなものを見て細胞を発見した。どう考えるかが大切かも。

 若い先生に「どこが生物に関係がありますか?」って言われた。ちょっとショックだった。が、知識だけを教えようとするとこんな疑問がでる。スンプ法は葉の裏側のレプリカを作って、気孔観察に使われる。回折格子のレプリカを使って、光のスペトラムを観察ができる。同じような質問が出るだろうが、吸収スペクトルや作用スペクトルなどを理解するには虹を作ってみることが大切だ。トヨタは和紙漉きの技術を使って重要な部品の製造に成功した。これで概ね顕微鏡をつかえるようになった
これもまた昔々の話だ。それほど好きでもなかった教員に「でもしか先生」になったばかりのことだ。初めて担任を持たされた。別に希望したわけじゃなかった。なにか他に自分がやりたいことが少しあった。楽な仕事でいいと思っていた。が、決められたコースを進んでいるように担任を割り当てられた。割り当てられたが嫌だとは言えななかった。若かったかもしれない。けれども、生徒に迷惑だけは掛けるつもりはなかった。5月の連休の頃だった。生徒の母親から電話が掛かった。「今日は休ませます。」「何処かが悪いわけではありませんが、朝学校へ行こうとすると気持ちが悪くなるみたいです。」「昨日の夜は明日は行く」と言っていたらしい。私はこれは危険だと直感した。今できるだけ早くもう一度だけ学校へ出てきてもらいたかった。彼にまだそれだけの力が残っていることを願った。間もなく土曜日だった。二人で何処かで弁当を食べようって思った。土曜日に学校へ出てきてほしいと伝えた。多分教室なんかへ行かなくても良いと言っただろうと思う。あれは真っ青の空が広がった晴天の日だった。彼はお母さんが作った弁当を持って、私は購買のパンを持って近くの公園へ行った。学校帰りの皆に見られるのは嫌だから、二人で掃除をサボった。何を話したか覚えていないが、二人で弁当を食べた。パンを食べてる私を気の毒がって、自分の弁当を少し分けてくれた。お母さんが作ってくれたって言いながら嬉しそうに一番おいしそうなおかずを選んでくれた。、とりとめのない話を1時間ほどして、学校へ帰った。それだけのことだった。学校へ間もなくやって来た。何事もなかったように日々が流れていった。「でもしか先生」だったけれども迷惑だけはかけないですんだ。 この頃はまだ教育相談などという言葉はあまり聞かなかった。不登校とか登校拒否などという言葉もあまり聞くことはなかった。何が変わってきたんだろう。 私の高等学校の頃の先生は掃除の時間に囲碁をやっていた。箒を持って真面目に履いているとちょっと邪魔だった。が、囲碁が好きなんだとは思った。私は囲碁は知らなかったが、どちらが強いのだろうかとは思った。多分数学の先生だろう。でも、腹は立たなかった。今ならきっと大変なことになる。
 クラスの生徒は皆真面目だった。が、ある日、夕刻、主任の先生がやって来た。「先生のクラス、掃除がやってありません。」 はあ? 机を後ろへずっただけで全員帰ってしまったのだ。主任の先生と二人で箒を持って掃除をした。翌日、怒りはしなかったが、感謝しろって言った。 歳をとると人間は結構恐ろしくなる。それから何年か後だ。なかなか掃除をやらなかった。脳裏に教卓が浮かんだ。倒してやろうと思った。結構危険だ。あたりを見回した。周囲に生徒がいないことを確認しておもいっきり教卓を蹴飛ばして倒した。全員一斉に机を後ろへずった。箒を持ってやり始める者。「怖かったね」と言いながら廊下へ逃げていくもの・・。このあとどんなケアをしたか覚えていない。いつもと変わらない日常が流れていった。あの頃から学校は何がどう変わってきたんだろう。リクルートスーツを見ると学校も社会も全部変わってしまったのかもしれないと思うが。個性を認めない、皆同じ、黙って、言われるままに不平を言わないで、ボランティア的に務める人間が求められているのだろう。大学は学問の府としての自尊心を捨てた。金儲けでもしてたら良い。
 多分、あれは遠足の日だった。何か問題が起きると困るから、現地のお土産売り場などに本部が設けられることがある。皆、それぞれ想う所へ出かけていった。ところが、一人睨みつけるような厳しい顔をして本部に残っている者がいた。何が起きているのか全く分からなかった。私は担任を持っていなかったから気楽に「どうしましたか。」って聞いた。「うるさいなあ。」随分ぶっきら棒に怒っていることが分かるように答えてきた。何か悪いことをしたらしい。一人だけ外出禁止になっていた。悪態をつきながら、今にも何かを蹴飛ばすような勢いで、ありったけの憎しみを込めて話してきた。これは先生だって悪い。このままでは何ら得る物はない。むしろ、ことは悪化するだけだ。30分ぐらい黙って聞いていたと思う。「そうか。・・・。そうなのか。」って。「目障りだから、はやくどこかへ行け」って言われたが、なんだか仲良しになった。
 学校へ帰ったら、時々やってくるようになった。「たばこを下さい。」などとわざわざ怒らせるようなことを言いながら。「下らないことで人生を棒にふるな。」って言った。あれだけ言っておいたのに、しばらくしてある日、先生と授業中に大喧嘩をした。暴言を吐いて、蹴飛ばして、逃げていったらしい。体育館の裏に数名の仲間とともにバリケードを張った。教員は誰も近づけなかった。このまま放置しておけば、彼が益々不利になるだけだ。黙って見ているわけにはいかなかった。私は彼に話をしに行った。彼の仲間が私の行く手を拒んだ。けれども、彼は話をするから通せって言ってくれた。何を話したか記憶にないが、嬉しかった。私は彼を卒業させるつもりだったが、彼は黙って学校を辞めていった。馬鹿野郎って思った。もう少し時間が欲しかった。
私は「でもしか・・」だった。彼は私に何も言わないで、会いもしないで姿を消していった。「馬鹿者めが。」って呟くしかなかった。学校は名誉と評判のためにただ退学させれば良いって思ったのだろう。どうでもいい昔の話だ。けれども、今でも、彼は元気だろうかって思っている。
 中学生だったか高校生だったかのまた若い命が失われた。私は今でも学校に問題があると思っている。つい最近昔の仲間の若い先生が我が家にやって来た。本当はもう学校は辞めたい。でも、生きていくためにはそうも言ってられないのだ。
 この生徒に何があったのかを私は知らない。学校を辞めることになった。退学処分(退学処分は表向きはほとんどない。たいてい一身上の都合という訳のわからない理由だ。)なのか家庭の事情などの自主的退学なのか知らない。けれども、そんなことはどうでもいいことだ。普通であれば保護者同伴だ。ロッカーの荷物を片付けて、会計の報告を受ける。そして最後の書類上の手続きを終えた。学校長に会わせて学校から送り出そうと思った。校長は「もう学校をやめるんでしょ。私がどうして会うんですか」って言ったらしい。もうこれはだめだと思った。涙が出た。そう言って来た。
 いかなる理由があれ、学校から生徒が去って行くことは悲しいことだ。仮に退学を迫ったのであれば、殊の外悲しいことだ。明日からはこの生徒に学校は手を差し出さないということだ。学校の非力を教育の無力を嘆かねばならないだろう。私は「学校を去っていく生徒に涙しない校長は教育者の資格はない」と言った。学校を去る理由なんか問題じゃない。学校の学校たる所以が問われてと思っている。その上でそれでも、学校を去って行かさざるを得ない。涙が出るだろう。
 
 極めて適当でずぼらな性格だった。今でも変わらないが。細かい実験とか、薬品作りなど、苦手だった。手元に筆記用具がないと後で書けば良い。ちゃんと記憶しているから大丈夫だって何度も思って、何度も失敗した。忘れてしまう。だから自信がなかった。それなら、ズボラでもできるものは「でも・しか先生」だった。
 あのカルビンの研究室にいた教授だった。そこで光合成色素の出来方の実験をしていた。「でも・しか先生」になってからも何か続きをやりたかった。最低でも分光高度計が欲しかった。大学の後輩に設計図を送ってもらった。そうしたら、この後輩、遠慮のない意見を言ってきた。買ったほうが早い。馬鹿じゃありませんか。そのとおりだ。・・・学生時代になけなしの1万円をかけて購入した青木淳一著の「土壌動物」の本があった。長い間漬物の重石に使って来た。漬物に落とし蓋をして、コップを置いて、その上に広辞苑を置いてその上にこの本を置くのだ。結構上手く漬かった。初めて読むつもりで開いた。はっきり言えばよく分からなかったが、ただ日本にはほとんど研究者がいないと書いてあった。それなら自分でも何かできるかもしれないと思った。
 ツルグレン装置を自作して、封入剤を調製して、その日から毎朝土壌を採集してきた。マダニやツツガムシは心配だったが、通勤途中に竹やぶや山に入って取ってきた。朝、ツルグレン装置をかけておけば昼ごろにはダニやトビムシや・・・など沢山の動物を観察ができた。けれども、まるで分からなかった。ダニの体の作りなんか全く知らなかった。なんとなく気門の位置がすぐ分かったから中気門ダニがわかりやすそうに思えた。頭部にケバケバがあるとあるが、何処なのか分からなかった。そこに髭があるとあるがどれなのか分からなかった。1種の名前を調べるのの1年近くかかった。やっとケバケバとはこれしかない。髭はこれだと思えた。今だにちゃんとは分からないが、そこそこは分かるようになった。
 3年生最後の授業の日がきた。講義室へ入ったら最前列は見たことがない顔だった。部屋を間違えたのかと思った。もう一度廊下へ出て表示板を確かめた。間違いない。「私達は物理の選択者です。」「物理は自習になりました。で、最後の授業だから、ダニの話をするのでしょう。」「僕達も聞いても良いですか」もちろんかまわないが、人様に聞いてもらえるほどのものじゃなかった。それでも、少しぐらいは役に立つ話もあるだろうと思った。よくわからないと言いながら1時間ダニの話をした。折角の自習の時間を無駄に使わせてしまったかもしれない。受験も迫っていたはずだ。土壌動物
 入試にだけ追われる生徒たちではなかった。若いうちに何でも学んだら良い。誰かが一生懸命やっていることがあれば、覗いて見ると良い。昔,ネギの苗の作付けをやった。向こうから中学生ぐらいの子がやって来た。何をしてるんだと聞くから、ネギをつけているんだと言った。嘘だろうって言われた。ネギは白色だ。東京から来たと言ったが、こんなことで本当に良いのだろうか。
  
 この数年間夏は蚊と戦ってきた。そもそもの始まりは、「蚊は二酸化炭素に集まってくる」と一般に言われていることが違っているのではないかと思ったことから始まった。発泡入浴剤とか重曹を使って二酸化炭素を発生させても簡単には蚊は集まって来なかった。ボウフラは何処にでもいる。しかも我が家なら大量に確保できた。「痒いんだから。」 蚊について知っていることは殆どなかった。血を吸う。血液凝固を止める物質を注入するらしい。知っているのはその程度のことだった。未だに蚊の口器でさえ観察したことはない。注射は痛くて嫌いだが、蚊やある種のダニは知らないうちに挿して血を抜いていく。なにか秘訣があるかもしれない。蚊に習うと痛くない注射ができるそうだ。色々なウィルスの媒介をするらしいが、その道筋の詳細についてはまるで知らない。 オニボウフラは蚊の蛹らしい。普通蛹は動かないが蚊の蛹は違う。動く。蚊が世に出てくるところを見てみたかった。沢山いるからそれほど難しいことではないと思った。ビーカーにオニボウフラを一匹入れてきた。・・・。ビデオカメラに撮影しようと思ったが、思いもよらず、結構難しい。・・・。チャック式のカード入れに水を入れてボウフラを入れて立てておけば良い。横から見れば、水中も空中もすべて良く見える。ボウフラは左右に動くことがあるかもしれないが、画面の前後に動くことはない。動けない。水面で動かなくなったオニボウフラは間もなく体を水平に伸ばして、蚊になって出てくる。そうゆう姿勢が取れない空間なら、蚊は死ぬだろうと思った。なかなか良い発想だと思ったが、上手くはいかなかった。それほど簡単じゃなかった。生き残るためには結構逆境を乗り越える。
 2Lのペットボトルの上3分の1ぐらいで切って飲み口を逆さにして刺し込む。水を一杯注いで、乾燥鶏糞を少し入れる。日陰の涼しいところに置いておく。夏の初めには大量のボウフラが湧く。大抵は周囲の狭い空間で羽化する。多くは死ぬ。出てくる蚊は数匹だ。これで蚊を退治できるかもしれないと思ったが、甘かった。幅20cmほどのタッパにロート挿して作った装置では沢山死んで浮かんでいた。ことしは水槽を使ってもっと大掛かりな装置を作った。HPにアップしたが、夏の暑さに、水槽が壊れて水漏れをして失敗した。畑に鍬を入れると大量の蚊現れる。土の隙間で生きる蚊がいるのかもしれない。ユスリカの幼虫は地表に水をあけてやっても結構長い間生きている。土粒の僅かな隙間の水中で蛹化して羽化するかもしれない。蚊に勝てるめどは立たない。HPへ結果を見にこられる方がいる。申し訳ないが、昨年は何も進歩しなかったことを報告しておきます。

 過去のトップ 外部へ
 100mlメスシリンダーに3%過酸化水素水を約10ml入れる。そこへ1,2滴の中性洗剤を入れる。肝臓片を入れると酸素の泡が発生する。時間の経過とともに泡の発生量を調べる。測定係、時間係、記録係、グラフへの記入係。机のことを考えれば4名一グループが良いだろう。40名のクラスなら10グループだ。多すぎるが、仕方がない。いきなり適当に4名で一グループを作りなさい。結構混乱する。規律に厳しい普通の学校では最も嫌う。面倒かもしれないが、けれども、これでクラスの問題点の一部が見えることがある。仲間はずれにするものがいれば、実験は止めると言えば、普通はなんとかグループが出来る。陰のリーダーが見えてくる。気弱に自分の居場所を探しているものがいる。この子の居場所をそーっと見つけてやるのが先生の仕事だろう。人の社会には鶏の順位制のような制度はいらない。室温で実験したらグラフの結果になったとしよう。氷で冷やしながら実験したらどんな結果になるだろう。書いてみよう。試験に出ると結構難しい。けれども、たいていうまく書ける。グラフの傾斜と反応速度が0になった時の最終泡の量が正しく描けていれば良い。500mlのビーカーに氷水を入れたり、お湯を入れたりして、メスシリンダー内の温度を変える。実際に実験してみよう。結果を予想しておくことは大切だが、こだわり過ぎると真実を曲げてしまうことがあるから注意が必要だ。(もっと定量的にきちんとやる必要が有るという人がいるかもしれませんが、この程度でも分かることは分かる)過酸化水素水を20ml入れて同じ実験をしたらどのような結果になるだろうか。簡単だ。皆、正解だった。
 ファラデーの「ロウソクの科学」は読んだことがないが、イギリスのクリスマスレクチャーは素敵だと思う。ファラデーは貧しい家庭で育ち、小学校しか出ていなかったらしい。数学はほとんど分からなかったそうだ。アインシュタインが彼の肖像画を壁に貼っていたというのだから、ファラデーはすごい人なんだろう。数学がわからなくても大発見はできる。それにしても本当に大切なことは何だろう。「好きとか嫌いとかで仕事が選べるのなら、研究がしたい」と言ってきた教え子がいた。夢は心のなかで暖め、育んでおけば何時かチャンスが向こうからやってくるだろう。そんな返事を返したように思う。
 さて、カタラーゼの実験だ。これだけの実験を実施するには準備は結構大変だ。非常勤講師一人じゃ出来るわけがない。時間外ボランティア労働はやる気はない。が、しかし、それが、前提になっている部分がある。教科書を教えるだけなら、先生なんかいらないって思うけれども、どうだろう。40名×3 。土壌動物の実験でさえ、未だ、実施できていない。準備から片付け、本当は予備実験、出来んなあ。そもそも、こんな条件でやることに無理があるのだろう。20名のクラスではやったことがあるが、40名ではやったことがない。  温度との関係を調べてみましょう 非常勤講師が実験のために薬品や簡単な道具を買ってほしいと云うのは何か問題があるのでしょうか。兎に角、やり難い。もうやめたほうが良いかもしれない。ホタライトごときが買えない。

過去のトップ 外部へ  HPをご利用される場合は出展を明らかにして下さい

 光合成の実験を始めよう。何時か葉緑体を分離して見みようと思いながら、随分時間がたった。40年もやらなかった。そんなに難しくない。大抵の学校に遠心分離器はある。埃をかぶっている。バランスを合わせるのが結構面倒だ。手動式の遠心分離器は3000rpmの性能を持つらしい。それなら、これでも可能だろう。チビたんが購入できればもっと簡単だ。しかし、恐る恐る買ってみませんかって言うしかない。手動式なら借りればある。葉緑体を水につけると(低張液)バルーンになって破裂すると昔、先生が言っていた。細胞共生説が正しいのであればそれはちょっと不思議だ。でも、まずはゆっくり。
 生物の基礎には光合成のちょっとした基礎的実験さえなかった。が、これでは少しも面白く無い。とりあえず。物質の色、葉の緑色について考えることにした。まず赤色のセロハンについて実験することにした。虹を作らないといけない。2セット作る用意をした。普通は自分で事前にセットするが、非常勤だから、事前にとはいかなかった。授業が始まってから、セットした。すぐできるが若干は時間のロスのようにも思えるが、其れで良い。赤いセロハンは、太陽の赤い光だけを通す。緑とか青や紫の光は吸収する。40年も間違いなくこれでいいと思って吸収曲線も含めてこれで説明してきた。15cm程の虹を作らせた。虫めがねで光を集めると白色光に戻る。光路の途中に赤いセロハンを置く。事前に訊いた。それぞれの色に赤い色が混ざった虹になる。赤だけの虹になる。大体半数ずつだった。さあやってみよう。虹の赤色だけが残る。青や緑の光は何処へ消えたのか。あったものがなくなるはずはずはない。再び赤セロハンをさしこんで。「先生、赤い色だけ通り抜けて行くことがわかります。緑とか青い色は通り抜けることが出来ずにとどまっています。」「はあ?」自分で確かめてみた。生徒が言うとおりだった。セロハンの表面で緑や青い色の光のかなりの量が反射されている。通り抜けることが出来なくてセロハンの表面にとどまっているように見える。考えてみれば其れでいいが、吸収曲線はどう説明しようか。虹・・・赤いセロハン・・・あれ? 多分赤い光だって同じように反射しているのだと思います。きっと光量を少なくして、セロハン表面での反射光をあまり見えないようにすればいいと思うが。光合成色素の色(外部)光路の途中に黒い画用紙を置き青い光を遮断する。虫めがねで光を集めると黄色になる。カロテノイドは黄色い色をしている。どんな光を吸収しているのだろう。屈光性には青い光が有効だ。・・・・。青い光で屈光性 作用スペクトル

過去のトップ 外部へ
 3%過酸化水素水(オキシドール)に肝臓片を入れると気体が発生する。フィルムケースに3分の1ほど過酸化水素を入れる。(3分の1というのはそこそこポイント。多すぎても威力はない)そこへ生の肝臓片入れて蓋をする。しばらくすると爆発して蓋が天井まで飛ぶ。だいたい忘れた頃、油断をした頃に大きな音を発する。いったい何がおきたのでしょうか。空気が発生したからだと言った生徒がいたがそれはちょと分からない。(あとで確かめてみよう)いずれにしてもなにか気体が発生してケース内の圧力が高くなって爆発をする。それほど難しいことはない。試験管に過酸化水素を入れて生の肝臓片を入れると激しく泡を発生する。オキシドールを傷口にかけた時と同じだ。しばらくすると泡の発生はなくなる。どうしてなんだろう。①肝臓片が駄目になった。確かに肝臓はぶよぶよになっている。②過酸化水素が駄目になった。どちらも駄目になったかも知れないがどちらもということはあまり考えることはないと思う。①,、②どちらなんでしょう。どうしたら分かるのでしょうか。多分簡単にわかると思います。ちょっと面倒だが反応が終わった過酸化水素水を駒込ピペットで取り新しい試験管に移す。肝臓と分ける。反応が終わった過酸化水素水に新しい肝臓を入れてみます。ぶよぶよの肝臓片に新しい過酸化水素を入れてみます。生の肝臓片はぶよぶよになっても何度でも過酸化水素水を分解することができることがわかります。㋐温度を変えるとフィルムケースが爆発するまでの時間はかわるでしょうか。㋑試験管に5mlの過酸化水素を入れて肝臓片を入れる。温度を変える。氷水で冷やすと泡の発生スピードは遅くなるだろう。それでは発生する泡の量はどうでしょう。(中性洗剤を数滴入れて泡の量を測ればすぐ分かる)㋒肝臓片のこの働きを止めるにはどうしたらいいでしょうか。ところで、ここで発生する気体は酸素です。オキシドールを傷口にかけると酸素の泡が出ます。殺菌に使うのですが、いったいどうしてでしょう。今まで誰も質問しませんでした。肝臓の代わりにジャガイモ片を使っても同様の結果を得ることができます。生物の組織片には動物でも植物でも一般的にこの力が存在します。何で?。今まで誰も質問しませんでした。ついでにオキシドールは蓋を開けて室温に一年も放置しておけば肝臓片なんかなくても酸素をゆっくり発生して、気が抜けて馬鹿になっています。この酸素は血液の存在をたしかめるためのルミノール反応で使われます。時間があればやってみましょう。温度との関係を調べてみましょう 

 いよいよこの分野ではやれる実験がなくなってきた。ちょっと困った。う~ん。ふ~む。この際、錯視の塗り絵をやってみよう。錯視は自然科学の分野では扱ってこなかった。文学部の心理学で研究するのが一般的だ。どうしてこんなことになったのでしょうか。きっと、錯視が何故起こるのか全く分からなかったからでしょう。脳が誤って真実と違う理解をする。そこには自然科学が入り込む隙間はなかったのでしょう。けれども多分コンピューターの発達にともなって錯視の世界は大きく変わってきた。ひょっとしたら脳の理解の仕方が分かるかもしれないといった時代になってきた。まず古典的な錯視を経験してみよう。斜めに引いた多数の斜線群が相対するように並ぶようにする。この画像を印刷する。直定規を中央に置くと直方形の定規の一端が拡がって見えるようになる。不思議だ。どうしてって訊かれると分からない。だから自然科学では扱わなかったのだろう。けれども、これからはこの疑問に脳の働きから解明していくことができるかもしれない時代になってきた。錯視は脳だけの問題だと思ってきたが、どうもそうじゃないと思うようになってきた。目の造りのほうがもっと重要だろうと思う。網膜に映った映像はどこも等しく認識されると疑問さえ持たないで、当たり前のように思ってきた。しかしそんなことはあるはずがない。黄斑に視細胞が沢山ある。どうしてこんな作りになっているのかは考えてみる価値があると思う。視細胞の分布に差があれば、視細胞が沢山あるある所でよく見えるのは当たり前だ。だからちゃんと見えていないところは50%ぐらいは脳の想像だと思う。想像力豊とでも言えばいいかもしれない。視線を向けて網膜の中央部分で見て、間違いに気がつくのでしょう。ついでに理解の誤りが続くと気持ちが悪くなる。立命館大学の北岡先生の”蛇の回転”塗り絵を昔授業でやった。大変なものだったが、熱中してやった。若者が熱中してやることは大切なことだと思っている。けれども、実に大変だった。もっと簡単にならないだろうか。オリジナルを作ってみた。が、後に出た北岡先生の塗り絵のほうが良い。少し変更してやってみよう。 傾く塗り絵

多分、あれは遠足の日だった。何か問題が起きると困るから、現地のお土産売り場などに本部が設けられることがある。皆、それぞれ想う所へ出かけていった。ところが、一人睨みつけるような厳しい顔をして本部に残っている者がいた。何が起きているのか全く分からなかった。私は担任を持っていなかったから気楽に「どうしましたか。」って聞いた。「うるさいなあ。」随分ぶっきら棒に怒っていることが分かるように答えてきた。何か悪いことをしたらしい。一人だけ外出禁止になっていた。悪態をつきながら、今にも何かを蹴飛ばすような勢いで、ありったけの憎しみを込めて話してきた。これは先生だって悪い。このままでは何ら得る物はない。むしろ、ことは悪化するだけだ。30分ぐらい黙って聞いていたと思う。「そうか。・・・。そうなのか。」って。「目障りだから、はやくどこかへ行け」って言われたが、なんだか仲良しになった。
 学校へ帰ったら、時々やってくるようになった。「たばこを下さい。」などとわざわざ怒らせるようなことを言いながら。「下らないことで人生を棒にふるな。」って言った。あれだけ言っておいたのに、しばらくしてある日、先生と授業中に大喧嘩をした。暴言を吐いて、蹴飛ばして、逃げていったらしい。体育館の裏に数名の仲間とともにバリケードを張った。教員は誰も近づけなかった。このまま放置しておけば、彼が益々不利になるだけだ。黙って見ているわけにはいかなかった。私は彼に話をしに行った。彼の仲間が私の行く手を拒んだ。けれども、彼は話をするから通せって言ってくれた。何を話したか記憶にないが、嬉しかった。私は彼を卒業させるつもりだったが、彼は黙って学校を辞めていった。馬鹿野郎って思った。もう少し時間が欲しかった。
私は「でもしか・・」だった。彼は私に何も言わないで、会いもしないで姿を消していった。「馬鹿者めが。」って呟くしかなかった。学校は名誉と評判のためにただ退学させれば良いって思ったのだろう。どうでもいい昔の話だ。けれども、今でも、彼は元気だろうかって思っている。
 もう、絶対やらないって決めていたのに。少しぐらい収入が増えても、健康保険料とか住民税とか・・・が増えるだけだ。無理やり押し切られた。何年か振りに教壇に立った。何かが変わってきた。良いことか悪いことかは分からないが、若者は学校では従順になってきたように思える。・・・が、何も言わないほうが良い。・・・筋収縮の分野でノーベル賞を受賞したセント・ジェルジェが「狂った猿」の中で若者に向けて言っている。「失敗を恐れるな。」「ありきたりの結論は正しくてもそれだけのものだ」「センセーショナルな意見は仮に間違っていても科学の発展に多くの寄与が出来る。??ちょっと覚えていない」そんなことを言っている。今の若者に贈っておいたが、何をぼけたことを言っているのだろうって思われただけだろう。非常勤のでもしか先生が言うことなどたいした価値はない。
 めでたくだろうが「でも・しか先生」は初めて教壇に立った。そして初めて質問を受けた。新任は面白い。虐めがいがあるのだろう。きっと答えられないだろうと思われる質問を考えてくる。本当は知らないと答えれば良いのだが、ここで慌てふためくとくだらないことだがこれからに影響するかもしれない。高校時代、京都大学出身の英語の先生はいきなりテストをした。私は多分2点か3点だったと思う。クラスの平均点も2か3点だった。「バレリーナやスケート選手はグルグル回転するけれど、目を回しません。あれはどうしてですか。」初めて受けた質問だ。
 はあ?とは思ったが、残念でした。本を読んだばかりだった。ブルーバックスだったかその程度の本だった。目を右左180度ずつ動かすのだそうだ。私はそんなことはやったことがなかった。だから、それが本当に正しいのかどうか知らなかった。確かめる気もなかった。けれども、それで私の新任入学試験は終わった。昔、生化学、発生学、植物生理学、オダム生態学、など・・・専門書を20冊ほど読み積み上げたことがあった。呼吸、光合成、脂肪代謝のすべての過程は暗記した。簡単には高校生には負けなかった。今は全部忘れた。忘れるから知らなくても良かったかもしれないが、知りたい時何処に書いてあるかは今でも分かる。
 生徒が野外観察をしたいと言った。分類学は全く分からなかった。それでも生徒が調べればいい訳だから、計画書を作って、連れ出した。が、しかし。心のなかではしっくりしなかった。遊びに行っただけだと言われればそうだ。学生時代分類学で尊敬する学生が3人いた。先輩に一人。なんでも知っていた。葉が三分の一ぐらいあれば名前を言い当てることができた。後輩に一人。高校生時代に牧野の植物図鑑はすべて覚えたらしい。とても私には無理だ。もう一人は同級の仲間だ。自分はたいしたことはないと言っていたが、その言葉が正しいかどうか私には分からなった。身の回りなら数百も知っていれば大丈夫だと言った。英語の単語よりはるかに少なくて済む。
 夏休み毎日植物採集に出かけた。1日に3回蛇に出会ったら、黙って帰ろうと思っていたが、そんな日が本当にあった。取ってきた植物は新聞紙に挟んで、毎日取り替えて標本にした。彼が標本を作れば覚えられると言っていたからだ。100種類ぐらい集めただろうと思うが、結構分かるようになってきた。けれども、結局、野外観察の指導をする勇気は持てなかった。
 今、大変な時代になった。こんなふうに毎日山へなんか行けない。学校へ行かないかんからだ。授業もないのに何をしに行くのかわからないが、校外で遊んでいてもらっては困るのだろう。普段、夜9時10時ひどい時は12時まで勤務した。午後6時から会議なんってざらにあった。3つぐらいの会議が待っていることもあった。せめて夏や春の休み中の勤務時間ぐらい変更して少なくしても良いだろうッて思う。昔は何も言われなかったから、私は学校へは行かないで、結構遊んでもいたが、植物採集、ダニ採集もやった。山で3回蛇に出会って逃げて帰ったって言うとちょっと目を輝かして皆喜んでくれた。 昔が良いって言っているわけではないが、ピリピリしないでおおらかな社会のほうが住みやすい。コンピューターのように1つ違えば全部全く完璧に違うような社会には住みたくない。
ドラえもん万華鏡 外部へ


200倍 見える部分は4分の1

100倍