ニワトリの発生の様子を観察させようと思った。不思議なことに脊椎動物へ進化してきたグループの発生の過程は基本的には皆同じだ。けれどもニワトリの発生はちょっと難しい。卵は何も食べないで約20日でヒヨコになる。ついでに何処かに異常があったって平気だろう。仮に脳が出来なくても発生は進んでいくことがあるだろう。ニワトリの卵には卵黄が大量にあるから、分かりにくい。難しいことは分からなくても良い。私も分からないから。けれども生きていることを感じるには最も良い。卵に直径2cm程の穴を開けパラフィルムで蓋をして中が見えるようにした。孵卵器はない。保温機か酒の燗をするやつを使うしかない。受精卵を道の駅で買ってきた。失敗した。卵はただ温めれば良いという訳ではない。@人間の体温よりやや高い適温を保つこと A湿度を保つこと B卵を絶えず回転すること。転卵と言うが、1時間に一回。無理だ。最低でも1日3回朝、昼、帰り。私が時々やれば、正常な卵なら雛になれる。
何が悪いか分からなかった。卵が問題かもしれないと思って、ニワトリ屋を探した。田舎の面白い卵屋を見つけた。ここの卵はえらく元気が良い。とりあえずうまくいった。で、さらに20個ほどもらいに行った。ただで良いと言われたから。お礼に菓子折を持って行ったのでむしろ高くついた。ニワトリを貸してあげようかって言われた。う〜ん。ちょっと驚いた。これとこのニワトリなら100%大丈夫だと言われた。そうかもしれないが、学校では困る。鄭重に断って、卵だけを受け取った。鳥インフルエンザが遠くで流行し始めて、近づくことさえ出来なくなってしまった。郵送してくれる新しい大きな卵屋を探した。子供向けの生命体験館のようなものを作ったらどうかと提案したが、今はそんな余裕はないようだった。
やはりうまくいかない。原因は転卵時に温度が下がってそのまま温度が上がらないのだろうと思った。それでも最初の3日間は温度が下がっても問題はない。色々な器官が出来てくるとヒヨコが低温ですぐ死んでしまうように発生途中の卵も死んでしまう。それでも生徒たちは興味を持って熱心にやってくれた。卵は廊下に置いた。毎日転卵に来てくれた。30日程度たった穴が開けてない卵。もう駄目だろうと思った。きっと駄目だろうから割ってみよう。皆の前で割った。生きていた。足も羽も出来ていた。わあーとかぎゃあーとか叫んで、私は非難の的となった。昔はこの実験で生まれたヒヨコは幼稚園で引き取ってくれたが、鳥インフルエンザが流行して引き取ってくれるところがなくなった。
夕焼けの仕組み 見事
夕焼けが起こる仕組み。青い色の光が薄めた水性ニス(牛乳で良いと思うがやってない)の粒子によってより早く散乱されることがよく分かる。簡単すぎて一時間の授業には使えなかった。青い色の光を使うと大腸菌の増殖を調べることが出来るだろう。いつか、いつか、と想っている内にやらないまま終わってしまった。
塾生はまだ集まらない。困りはしないが、実験機器をもう少し充実させようと思っていたが、・・・・・。こんなもんだろう。HPをアップしても器具は買えないが、暇が暇でなくなる。明日はタマネギを収穫しよう。暇がタマネギで埋まるだろう。涙が出るかもしれない。
時を忘れるタンポポ オジギソウはグータラ
タンポポの花は朝開いて夜閉じる。これを数日繰り返す。冬知らずの花もそうだ。ポーチュラカは晴れていれば、朝8時頃開花する。オシロイバナは午後4時から5時頃開花する。アフリカの未開の地では時計代わりに使われているらしい。リンネは開花時刻をもとに花時計を作った。皆で作ってみるのも面白いかもしれないが、これは大変だろう。やる前から尻込みする。チューリップは暖かくなると開くと書いてある。花びらの内側のオーキシンの量が増えて成長が増すらしい。そう書いてある。たいていの開閉を繰り返す花はほぼ同じような花びらの表裏の成長の差で説明出来るらしい。タンポポの花を入浴剤パブで二酸化炭素を充満させた(湿度かもしれないが)ポリバケツに入れておくと夜になっても閉じない。開きっぱなしのタンポポになる。暗くなっても閉じない。オジギソウはお辞儀をしないグータラなやつになる。ハナカンザシの花は良く晴れた乾燥した日にめいっぱい開いている。この花に加湿器で低温(普通のの温度)蒸気をかけてやると閉じてくる。乾燥させてやると再び開花する。下は十分開花したハナカンザシの花の基部に水を一滴掛けたときの変化だ。閉じてくる。冬知らずでも同じことが起こる。課題研究で冬知らずの花の開閉の研究をさせたが、結論を私は知らない。体内時計なのか。サイクリックな環境の変化によって起こるサイクリックな体内変化。気孔の開閉はこれに連動して起こるだろう。
ハナカンザシや冬知らずの花の開閉は花びらの基部の屈曲度によって起こると思います。オジギソウの葉沈を思わせる。
これは本で見た。生物実験辞典だったか。う〜ん。忘れた。ジャガイモは地下に芋を作れないと地上に芋を作るらしい。ジャガイモが生るらしい。方法は色々ある。ジャガイモの実を見たことがあるだろうか。ミニトマトのようだ。ジャガイモとトマトは親戚と言って良い植物だ。トマトの根にジャガイモの茎を接ぎ木する方法を選んだ。トマトとジャガイモを細胞融合させて作った新しい植物をポマトと呼んだ。昔、大阪の万博で見た。ジャガイモの長所とトマトの長所を合わせて持つ夢の植物だった。がしかし、作ってみると役立たずの植物になった。バーナードショウではないが、欠点だらけのジャガイモとトマトが出来たのだろう。今やろうとしているのは細胞融合ではなく単に接ぎ木だけれど、、自分でもやってみた。失敗した。接ぎ木に失敗した。1年に1回しかできないから、3年ぐらいかかったかもしれない。そんな話をしたら、やってみたいと言いだした。ジャガイモの芽生えはいくらでも用意が出来る。トマトはしかし、買ってくると1株100円ほどする。こういうものは自腹を切るしかないが、10株購入して1000円は痛い。・・・我々は運が良かった。ホームセンターで20円にディスカウントされた。欲しいのはトマトの根だから、
地上はどうでも良い。2株ほど成功した。確かにジャガイモが生った。放課後生徒が一人やってきた。食べてみよう。二人で焼いた。香ばしいとても美味しそうな臭いがしてきた。あまりに香ばしい怪しい臭いだった。ほんの僅かなひとかけらを口にしたが、渋くて苦くて、きっと毒があるだろう。舐めてみるに留めたが、これでは食用にはならない。多分、期待した耐寒性もないだろう。
細胞融合は接ぎ木とは全く異なる技術だ。もちろん出来るものも完璧に違う。細胞融合は昔は神の領域だと思っていたが、最近は融合だけなら中学生でもできる。そのための実験用キットがある。これは優れものだった。キットになっているからそれほど難しい実験ではない。高校生は新しい技術には興味を持って真剣に取り組んでくれた。若者らしいと思ったが、この力を生かす学校でありたいとも思った。
このHPはすでに閉鎖したはずだ。もうそろそろ本当に止めなあかん。3P目になるとさすがに訪問者はなくなる。
簡単で誰でも出来る植物の屈性を調べる方法を紹介しよう。授業で一番簡単なものを実験の合間を縫ってやってみたことがあっただけだ。最も難しいことは実験用の出来るだけ均一な発芽幼植物を沢山用意できるかということだ。それと結果を観察する時間が持てるかだ。最適な時に観察しないと結果が見えないことがある。これが出来ないと”一人一本ね”とか”失敗しないでね”とかやる気を削ぐようなことを言わなければならない。誰だって自分が納得できることをしたいと思うだろう。途中で上手くできなかったらやり直したいと思う心を大切にしないと実験をやる意味がないと思う。
CDのケースの隙間で植物を育てれば良い。すでに記述済みなのでここでは省きたい。上の写真は扇風機でゆっくり回転して育てたものだ。回転の中心は写真の右なのか左なのかどちらでしょうか。正解の確率は2分の1だけれど、運で正解を得ても意味はないだろう。 それではもうちょっとレベルアップしよう。根や茎にほぼ等間隔に印を付ければ、何処がどれだけ成長したかが分かるだろう。面倒くさそうだ。堅めの網戸の網に煤をつけて判子のように押しつければ良い。簡単だ。30秒もあればできるだろう。(スタプ台でも良いかもしれないがやってない)植物が違うが茎部と根の伸長の様子がわかる。違いがあるだろうか。縦に置いたり横に置いたりしてやってみればいい。さあ、もうひとつやろう。ちょっと危険だ。手を切らないように注意しなければならない。
カミソリの刃・厚紙・カミソリの刃・厚紙交互に重ねよう。端を大型挟みクリップで留める。苗をCDの飼育場に置いて幾つかの断片に切ってしまおう。何か気がつくことがありますか。切ってしまって他の部分との繋がりがなくなってもよく伸長するところがある。でも曲がらない。根の先端は根の屈曲を調節しているのだろう。根の断片は多分まっすぐ種子の方へ向かって伸長している。私は根は先に向かって伸びていくものだと何の疑いもなく信じていた。けれどもそうではないと最近思うようになった。伸長する断片は根の先ではなくタネがある方へ伸長しているように思える。単子葉類、たとえば里芋やトウモロコシの若い葉の先に穴あきパンチで穴を開けておく。葉が大きく成長しても穴は大きくならない。そして穴はそのまま葉の先へ行く。葉は茎の付け根あたりで茎の方へ向かって伸長して行くように思える。外部から見ていると先へ向かって伸びていくように見えるのだろう。
実験は簡単だ。誰でも出来る。けれども授業に取り入れても面白くならないような気がする。ただその気になれば、扇風機で回転させたり(水平回転、垂直回転)印を付けたり、光の照射方向を変えたり、光ファイバーでピンポイントで光を当てたり、断片に切断したり、様々な実験を計画が出来るだろう。ついでに質問だ。芽生えを横に寝かして、根の先端部分の下半分を切り取って捨てると根はどのように成長していくのでしょうか。作業は明るいところでやってもかまわないと思います。
壊れた箒で古代の暖かい火 火起こし機
壊れた箒を改良して?火起こし機を作った。右のように作った火起こし機を右へ90度回転して縦にして使う。おもりを上手く中心につけないと回転にふらつきが出来て上手く火がつかない。おもりには普通木塊を使うが、中心をとるのが結構難しい。1.5gのペットボトルの先を差し込んでセメントを流し込んで固めておもしを作る。これでほぼ回転のバランスが取れる。ただセメントが固まるのに時間がかかる問題があるが極めて安価な火起こし機だ。学校には壊れた箒は沢山あった。三人で一機作った。火切り板を作って心棒を差し込めば準備完了だ。水平の板を両手で持って上下させると箒の棒が回転する。煙が出てくるが、ここからが勝負だ。種火がつくまで気を緩めないことだ。ここで一気に回転数を上げる。種火を解した麻ひもに入れて息でも吹き込めば突然火がつくだろう。生徒と社会の先生を交えて火を起こしに挑戦した。ちょっと快い疲れた体には、この火が暖かい古代の光に思えた。何をやっても自分は駄目だと思っている子でも、慣れて上下運動のタイミングを上手く取れるようになると面白くなる。最後、煙が出てきたらあと少し励ましてやることだ。ちゃんと火種が出来る。火がつけば自分に自信が持てるようになるだ
ろう。出来た火起こし機を欲しい人に持って帰ってもらおうと思ったが、誰も持って行かなかった。こんなものがゴロゴロ増えても困りものだ。けれども、これだけなら技術かもしれないが、科学じゃないだろう。エネルギー保存の法則を話して、熱はどこから変身してきたのか考えるか。それとも縄文の科学を考えるか。私は宮沢賢治の世界が思い浮かんだ。ササニシキやアキタコマチやこれらの耐寒性の稲の品種改良に成功するまでは東北は栃の木を大切にしなければならなかった。栃の実煎餅でも食べながら、豊食の時代に生きていることに感謝したら良い。下は安江 健一先生(独立行政法人日本原子力研究開発機構)の断層煎餅だ。火起こし機とは違うが、断層の勉強をするというか食べるとかなり旨い。何万年か前の地域の川の流れがうまく分かる。生徒がメチャメッチャ
下手くそだったから、手本を見せようと思って、「こうやるんだ。よく見ておれ。」と言って、力を入れた。皆の注目のなか、煎餅は粉々に割れた。どっと笑われたが、「最後だから、皆で分けようと思ったんだ」って、負け惜しみを言って、終わった。
このページはいつ終わるのだろう。実験の話だったのに、ちょっと昔話をしよう。
大津市のいじめによる生徒の自殺の報道は、私は真実を知らないが、胸が痛む事件だ。昔からある。子供の社会、大人の社会、何処にでもある。虐められるがわにも問題があると誰かが言う。財布がなくなりました。名前は書いてあるのかと聞かれる。名前など書いてあっても何の役にも立たないだろうが、逆に叱られる。車に鍵を掛けておいて、コンピューターを盗まれると盗まれた教員は解雇となる。盗んだ者の責任を問わないなら社会は崩壊するだろう。そんなことはないと言うかもしれないが、真剣に犯人を捜さないのだから、盗まれた教員が悪い訳だろう。外国はそうかもしれないが、日本は今まではそんなことはなかった。
昔、外国人の生徒が一人バス停にうつむいて座っていた。どうしたんだろう。「先生、僕の父は真面目に一生懸命働いてきました。それなりに認められて責任ある仕事を任されてきました。」きっと***長と言われて来たのだろう。「でも、外国人という理由で会社を最初に解雇されました。僕はどうしたら良いか分かりません。学校を続けられるかどうか分かりません。」私は彼に何もしてやれなかった。解雇される側にも問題があるとして、それはいったい何だったのだろう。まさか人間だったことじゃないだろうと思うが。
これもまた昔の話だ。虐めに合っているだろう生徒にであった。訊いても何も言わない。これでは何も解決しない。それより何より、放置しておけば見えない所から学校が崩壊していくことが明らかだ。事件の内容は全く覚えていない。けれども真実を明らかにしなければ、学校とは言えないと思った。全力を注いで君を守ると言ったと思う。数十名の全教員が君のみかただとも言っただろう。やっと何が起こっているのか話し始めてくれた。私は校長室に呼ばれた。労いの言葉があるかと思ったが、「学校は責任を持てません。」って言われた。じゃあどうしろって言うんだ。警察を入れるなら校長しかできない。(ひょっとすると教育委員会かもしれない)それとも見て見ぬふりをしろっていう意味か。腹が立ったが、私は馬鹿だ。こんな言葉は忘れてまっすぐ進むしかなかった。信頼して話してくれた生徒に申し訳ない。反対を押し切ってやったこともあるが、この時は集会を開いたかどうかは記憶にない。そんなことをやってもってよく言われる。けれども、授業なんかどうでも良い。豊かに生きることが出来ないなら、学校じゃない。学校での私の居場所を明らかにして、校内での対処の仕方を説明した。校外であればどうするか説明をした。警察の力を借りてもかまわないとも言った。一ヶ月ほど緊張の日々が続いたが、彼が卒業するまで、これ以上のことは起こらなかった。虐められる側にも問題があると言っている限り、何も解決しないだろう。好きになれとは言わないけれど、人格を尊重しなければニワトリの社会と変わらないだろう。醜いアヒルの子を作らないのが人間の生き方だろう。相手の立場にたって考えることが出来るのが他の動物にはない人間の特徴だ。けれども、ゾウやサルでも仲間の悲しみに泣くかもしれない。
これもまた随分昔のことだ。事件の大部分は忘れてしまった。多分虐めに類することだったと思う。ある一人の女生徒が皆から嫌がらせを受けているということだった。女生徒のグループ行動ではよく起こることだと思われている。どんなに悲しいことでも、そんなものかと言えばそれだけのことだろう。女子生徒のグループ?女子に特有なこと?そんなことはない。男子だって同じだ。荒んだ集団の中では女子でも男子でもあり得る問題だろう。嫌がらせの落書きがある。嫌がらせの手紙が送られてくる。鞄が消える。ジャージが勝手に散歩する。昔のことだから、メールやブログの書き込みなどはなかったが、放置できない事件だった。地域でも有数な進学校だった。被害生徒に一部の非があったにせよ、許すことが出来ない事件だった。起きていることのすべてが加害者の責任であり罪だ。このまま放置すれば、いつか加害者の多くの生徒を処分しなければならなくなるだろう。私は学年集会を要請した。定期試験や学校行事が詰まる中、多くの教員の反対にぶち当たった。試験なんか別の日にやれば良い。被害生徒でさえ、公にすることを拒んだ。被害生徒とその保護者を必死に説得した。何もしなければ、時間に任せれば解決されるとは考えられない。豊かな学校を守るにはこの問題をとりあえず解決するしかないだろう。本人と保護者の了解にやっと辿り着いた。けれども、指導部も教頭も集会に反対した。時間がない。効果的な集会のチャンスは今しかない。校長がやってきた。「すべてをお前に任せる」そう言ってきた。(前述の校長とは格がちがう)
私は怒りはしなかったと思う。事件の全貌を話した。楽しく豊かな学校について話をしたと思っている。これで解決出来なければ徹底的に調査に出るしかないだろうと思いながら話したと思う。あのー。ついでだけれど、こうなった時って、学校はすでにおよその見当がついているんです。加害者の名前もすでに出ています。その後暫く情報収集に神経を使ったが、靴もジャージも教科書も勝手に散歩に行くことはなくなった。若者だから失敗はあるだろうけれど、こうしてより豊かな学校になれるのは素敵な学校なのだろうと思う。だから何があっても好きになれる。
やがて私は窓際族になった。ほとんど生徒の前で話すことはなくなったが、まれに少しだけ時間が与えられることがあった。もう何も話したくはないことが多かったが、荒んでいく若者には心を痛めてはいた。俺たちは駄目なんだってレッテルを貼られていると思っている生徒達だ。そんなレッテルを貼っているのは自分自身だろう。自分にできることがあると思って欲しかった。今日一日で何かをやれっていっている訳じゃない。10,20,30年の時間がある。誰かのために好きなことをやれば良い。それだけのことだ。試験をやると欠点になる生徒がいる。けれども間違えてはいけない。人間が悪い訳じゃない。人間として欠点だって言ってる訳じゃないから。そんなことを言って答案を返してやった。
「あの子が悪い」「この子が悪い」あの子があなたの悪口を言っていた。・・・・昨日まで仲が良かったのに今日は睨んでいる。グループから別れて・・・。なんか、メチャクチャな人間模様だ。こんな集団が良いわけがない。いずれもっとグチャグチャになってグループ対グループの抗争劇に発展しそうだ。どのグループにも入れない仲間はずれの生徒ができるかもしれない。何かの折りにちょっとだけ話す機会ができた。他の先生がやれば良いが放っておけなかった。結構考えて「人間が作った3つの失敗作と神様が作った一つの失敗作」って話をした。付箋とホッカイロと濾紙を用意した。神様の失敗作は人間だ。皆欠点がある。お互いに欠点を責め合っても良いものは生まれないって言った。僅かの時間に話をまとめるのはちょっと大変だったが、崩壊しそうな生徒集団に贈ってやれる私の言葉だったと思っている。http://kajitadani.sitemix.jp/kakotoppu11.htm再びまた話す機会ができた。私は嫌だと言ったのに、時間が余るだろうからって理由だ。http://kajitadani.sitemix.jp/kakotoppu8.htm 「真実は自分の目で確かめろ」という話をした。噂や陰口に翻弄されている生徒達に贈ってやった話だ。短時間だったけれども、飛行機の飛行についてのデモンストレーションも入れて1日は考えた。模型飛行機の飛行実験も自費で購入して直前まで練習した。逆さに飛ばした飛行機が空中で自己復元して飛ぶはずだったが、いきなりバラバラに空中分解をした。どーっと笑われたが、それもまた良しだ。強風にでも煽られて逆さになったトンボは空中を飛べないとあたりまえのように信じていた。けれども、そうじゃないことに気がついた。トンボは逆さになっても飛べるけれども、逆さに飛行すると着地するとき頭から激突するだろう。それではトンボは困るのだろう。あの子がこう言っていたとかこの子がああ言ってたらしいとか。噂のような不確かな情報に惑わされないで、真実は自分で確かめたらいい。
靴を隠した。ジャージや教科書を隠した。理由もなく無視をする。身体的特徴を馬鹿にする。これはいじめだろう。殴った蹴飛ばした。嫌がる相手にプロレスの技を掛けた。脅した。脅して金をまきあげた。間違えちゃいけません。これらはいじめじゃあありません。犯罪だ。殺害を示唆するような発言をした。これも立派な犯罪だ。遊びでした。そんな言葉ですむわけがない。こんなことが今学校で起こっている。昔学校は暴力的に荒れることがあった。最近は荒れた子供の心は表に出ないようになったんだろう。どうしてだろう。指導要領が変わったからだと私は思っている。
昔、教育委員会にいたこともある中学校の校長に学校に問題があると言ったことがある。我々と見解が違うと言われた。それでも問題は学校で起きている。不登校の生徒が行けないのは学校だ。いつか議論をしないといけないだろうって言われたが、そんな面倒なことは私はしたくない。社会環境が悪い。家庭に問題がある。結局よく分からないから、何もしないで終わる。ゴマすりとハイハイ学校では何も解決できないだろう。少なくとも正当な意見が通る学校でなければならないと思っている。世間体でもない、評判でもない、進学率でもない。理想を毅然と求める精神が必要だろう。普通の学校には学校目標ってものがあるが、大抵は飾り物にすぎない。***、***、自学。とあって、毎日のようにテストがあって、不合格だと写経のようなペナルティーが課せられる。これを自学と言うのだろう。NHKの内部告発による朝日新聞の記事は昔、随分話題になった。NHKの職員にあの事件はどうなったんだと訊いた。社ではなかったものとして扱うと言った。それはおかしいだろう。あったことがなかったことになるはずはない。どこかおかしい。
今度は仙台だ。私立高校らしい。真実は知らないが、ありそうな話だ。20カ所にも及ぶ根性焼きだ。これは虐めなんかじゃない。れっきとした犯罪だ。未成年だから犯罪ではない。そんなことはないだろう。確かに昔からあった。先生に見つからないように目立たない所をやるのが常套手段だだった。不審に思って訊くと、普通は何でもありませんって答えてくる。けれども直感が正しければ放置できない。ここから生徒との神経戦が始まるが、虐めとか犯罪とかより、こうゆう不正義は許せない。学校は理想を追う社会であるべきだと思う。加害者である生徒を守るには一日も早く真相を明らかにしないといけないと思う。
ところで仙台へ戻るが、真実はよく知らないがこの事件は許せない犯罪だろう。被害者が自主退学を迫られたという。学校が犯罪者に加担したというのだろうか。報道が正しいのであれば、学校が裁かれて当然だと思う。数十人という善良な教員がいても正義が踏み滲まれるのが学校という組織かもしれない。1日経って自傷だと報道があった。・・・。わからんなあ。自傷なら普通なら精神科医の診療を勧めるものだと思っている。それでも解決できないほど危険な精神状態にあるなら治療のために自主退学もあるかもしれないが。仮に被害者が自分でやったと言っても、真実を探らなければいけないだろう。そうでなければ豊かな学校にはなれない。
被害者はついに退学処分となったと報道された。これは学校の社会に対する挑発だろう。被害者を切り捨てて、犯罪者を保護したのであれば学校が裁かれなければならないと思う。公立とか私立とかの問題じゃない。私立学校ならなんでもできるって訳じゃない。この事件はちゃんと処理しないと一生懸命頑張っている多くの教員に申し訳ないだろう。そうでなければ学校から夢が消える。
塾生はまだ集まらない。だいぶ横道に逸れてしまったが、心豊かな学校でなければ本当の学びはできないと思っている。どうせ暇だからこれぐらいは良いだろう。
今年は学校とは関係を持たないつもりだったが、国語の授業で和紙の葉書を作る授業をやりたいと要請があった。全くの善意にしかならないが、昔の仲間だ。手伝いに行くことにした。授業で紙漉をやるためには少しは工夫が必要だ。機材を材質を変えて実験して作ってきた。10年は時間が必要だった。一緒にやってきた仲間にはいくらでもポイントを教えるだろう。けれども、そうではない人の手伝いをするつもりはない。さて、実際に指導をするのは国語の教員だ。俳句の授業だ。けれども、紙ができればそれで良いとは思わない。紙漉の原理とか、紙とは何かを考えさせると、授業に深みができて面白くなるだろう。紙の主成分のセルロースの話になった。我々の食べ物のデンプンと大して変わらない。いずれもブドウ糖が沢山結合したものだ。私たちはデンプンは食べるけれども紙は食べない。私たちはデンプンは消化できるけれども、セルロース、紙は消化できません。国語の先生から「セルロースの方がブドウ糖の結合力が強い」 私はなるほどと思った。そんなふうに考えたことはなかったが、素敵な発想だと思った。人間は相当高等生物だから、人間では消化できないとすると結合する力だ強いのだろう。けれども、シロアリは紙を食べる。我々はシロアリに負けているのだろう。十数名の授業だったが、100分あると思ったのに50分だった。ちょっと時間が足りなかった。放課後もう一枚作りたいと言って何名かがやってきたらしい。良いことだ。またやってみたいと言う気持ちが次に繋がるだろう。自分で満足できる物にしたい。そうゆう子供達の心を大切にしたい。原料に余裕がある限り力になってやれば良い。
アジアの若者達が日本に憧れてやってくる。過去の悲しい歴史を乗り越えようとしている人も沢山いるだろう。 、
試験管に3%ぐらいの過酸化水素を入れ、肝臓片などを入れると酸素の泡を発生する。(ルミノール反応はこの酸素で発光する)フィルムケースに3分の1ぐらい過酸化水素水を入れて肝臓片を入れて蓋をする。暫くすると大きな音がして爆発して蓋が天井まで飛ぶ。びっくりはするが面白い。どうしてこんなことになるか説明することはそんなに難しことじゃない。100mlのメスシリンダーに過酸化水素水を10ml入れる。数滴中性洗剤を加え、静かに振る。肝臓片を入れると酸素の泡が発生する。発生する泡の量を一分ごとに測定して黒板のグラフ用紙に書く。時計を見る者。泡を見る者。ノートに記載する者。黒板にグラフにする者。初め右上がりに上がっていく。やがて泡の発生量が減っていって120ml程度のところで一定になってそれ以上増えない。たいていうまくい
く。最後それ以上泡の量が増えないようになります。どうしてでしょうか。簡単だ。過酸化水素が全部分解しちゃったか。肝臓片がくたばったかどちらかだろう。ちゃんと答えられた。新しい肝臓片を入れてどうなるか。新しい過酸化水素を加えてどうなるか。予想できるだろう。温度を下げて実験をしたらどうなるだろうか。黒板に書いてみよう。たいてい最初の傾きが小さくなるだろう。皆正しい。右へ上げていくが何処まで行くのか。初めの過酸化水素の量は同じだから。全員正解だ。大学入試問題にあるが、分からんと思ってしまえば、分かるものも分からんようになる。グラフを書くのは嫌かもしれない。嫌なことはやりたくないが、グラフでその後が予測できる。やらなかったところも推測が出来る。世界の人口は若い頃、30億って習った。少し前、60億を超えた。若い頃っていつ頃のことか人口のグラフを見れば分かる。そんなことがあり得るのかどうか分からないが100億になるのはいつだろう。
10年、20年、30年の時間を費やして作ってきました。動、画像は簡単にダウンロードできると思いますが出典を明らかにしてください。 梶田高由
また虐めによる自殺問題が起きた。岩手県の中学生。日本中がその担任に非難の嵐を被せている。。虐めや自殺のサインに善処しなかったというのだろう。一人を非難するのは簡単だ。けれども冷静にもう一度初めから考えてみよう。手も足ももぎ取られた今の先生は今や無力だ。叱って治るものなら、虐めなどとうに無くなっているはずだ。生徒のサインを見逃したことを非難するのであれば、それは担任だけじゃない。皆だ。虐めがあることは皆知っていただろうと思う。しかもそれは暴力という犯罪を伴って起こっている。暴力と子供の喧嘩を混同して同じ対処の仕方をしてはいけません。少なくとも暴力は許さないという決意があればこんな結果にはならなかっただろう。担任以外誰も知らなかった。そんなことはありえない。知っていても、知らないことにすれば幸せなんだろう。学校という社会に今重大な問題があるのかもしれません。。死にたいと言う生徒に何をやってやれるのか。原因を物理的に取り除いてやること。正義に生きる強い心を育成する。はっきり言えばどちらも難しい。ひょっとすると日本社会全体かも知れないが。校長の「私は聞いていない」という発言を聞くなら、担任が一人で問題を抱え込まざるを得ない状況だったのかもしれない。生徒の死に本当に心を痛めているのは、非力だったかもしれないが、学校では担任の先生だと私は信じている。学校や地域全体の問題として、皆で対処できる環境が整っていればこんな結果にはならなかったと思う。
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