過っての校長がやってきた。日本の理系の過程とかコースが低迷していることを嘆いてやってきた。特色がある差別化された教育課程の必要性を論じてきた。その時琵琶湖博物館の新しい時代の博物館のコンセプトについて話された。館長は京都生態学派の大御所だ。あったことはないが、尊敬する学者だった。研修の帰路に見学することにした。とりわけコリオリの力の体験装置は面白かった。アサガオが左巻きに巻きながら成長する。地球が自転をしているからだと言った人がいた。コリオリの力が蔓が巻く力ということだ。嘘だろうと思ったが、確かめてみたかった。反対方向へ回転するこの部屋で実験すれば、簡単に答えが出るだろうと思った。数時間で結論が出るだろうって思ったが、そんな実験はここではできない。南半球で育てればもっと簡単に結論が出るが、それも私では難しい。どうすれば良いかって考えた。アサガオを扇風機で回転しながら育てれば良い。回転方向は吊り下げながら扇風機を下向きにして回わして変えれる。
館長は淡水魚の生態の専門家だから、申し訳ないとは思ったが、通りかかる生徒を呼び込んだ。遠くからトドンを被った外国人が近づいてくるのが見えた。ふ〜む。国際的だって思った。「先生、先生じゃありません?」と言いながら近づいてきた。日本語だ。マレイシアの学生だった。びっくりした。こんなところで会えるなどとは思っていなかった。鳥取大学で学んでいる。許婚と一緒に来ていた。この場所で、この一瞬の時刻。まさかだった。こんなことがあるんだ。一瞬にしてマレイシアの昔へ心が戻っていった。鳥取で会う約束をして別れた。ジュンパ・ラギ。いつか機会があれば日本の生徒たちにマレイシアの学生たち会わせてやろうと思ったが、ついにそういう機会はなかった。こんな偶然があるんだ。
鳥取は遠かった。城崎温泉に宿を取って行ったが、山陰はこんなにも遠いのかと思った。お土産を持って行ったのかどうか記憶にないが、20世紀をお土産に持たせてくれた。
やがて、琵琶湖博物館にはTV会議システムでの講義をお願いした。良い返事は全く得られませんでした。私は博物館まで出向いて新しい博物館の在り方を模索することにチャレンジしてほしいと言った。確かに素晴らしい博物館だと思うが、時代は次のシステムを求めているのは私は明らかだと思っていた。けれども、ハッカーとかウィルスの心配を理由に結局実施できなかった。この問題は日本全体で考え対策をしてほしい。が、怖がっていたのではPCは無用の長物になるだろう。
「18時以降、学校、教師は対応しません」どう思いますかって。今じゃありえないかもしれないが、新任研修会で校長は「特に仕事がなければ、遅刻してもかまいません。」ずいぶん昔の話だ。昼は40分程度の休み時間があった。これは勤務時間じゃなかった。本来自由だった。昔の話だ。我々は外食に出た。時には4時間目からだ。校長がどこへ行くんだって言うから、「食事に行ってきます」今じゃきっと外出なんかできないと思う。おかしい。夏休みなんか特に仕事がなければ学校へ行かなかった。教員は研修をする義務?があるから本来は職場を離れて行う研修願いを届ける必要がある。一応出しておくが、それほど厳密じゃなかった。私は家で遊んでいることもあったが、毎日植物採集に出かけたこともあった。今は多分研修制度があることでさえ隠されていると思う。みな、長期休暇中に有給休暇をとっている。これでは有給休暇の意味を成していないと思う。長期休暇後、有給休暇がなければストレスを抱えての勤務になるだろう。8月、12月、3月の長期休業中に有給休暇を消化させて、辻褄を合わせればいいという考えには賛同できなかった。意地でも私は休暇を取らなかった。さて、普段、17時ごろが勤務時間の終わりだと思うが、そのあとは無制限のボランティア残業が続く。ただ、昔、新任のころは、長期休暇中は自由がきいたから、昔はここでリフレッシュして、我慢ができただけだ。帰りの勤務時間の無制限に目をつむっているが、朝の勤務時間には厳密に目くじらを立てる。昼休みは授業がないだけで勤務活動中だ。基本外出はできなくなった。(昼だけでも、一か月2日分ぐらいボランティア残業をしているわけだ)私が退職するころの学校の勤務状況だ。
修学旅行が近づいてくると「先生は修学旅行に行けて良いねえ」って言ってくる。何が良いものか。一日24時間の3泊4日のブラック勤務なのだ。出張旅費はすべて旅行代で消える。多分、日当だってあるはずだが、それを全部投入してもたりない。昔、旅費が足りないから払ってくれって言ってきたことがあった。冗談じゃない。なんでだ。言い合いが始まる。結局PTAか何かが払うのだが、不信感とか不満とかが残ったまま、次の年へ突入していく。確かに夜2時ごろまでに全員の点呼を終えたころ(これは重要な仕事だ。全員無事に帰らないかんから)、夜食が出る。酒が出るかどうかはどうでも良いが、まだこの時点で夕食が食べられない教員がいることがある。病人が出れば看病についている先生がいるのだ。ついでに教員は看護師の資格を持っているわけじゃない。どれだけ精神的ストレスを受けて活動しているかわかると思う。(ついでだ、公立の自然の家での宿泊で、不穏な団体と同泊したことがあった。誰も知らないだろうが、教員は女子の宿泊棟入り口前で徹夜で警護をしたことがあった。全員が無事に帰るためだ。それでも特別手当がでるわけじゃない。)
遠足の引率では先生はただで行けて良いと思うかもしれないが、バス代は生徒と割り勘で出張旅費からだが、払っている。もっとも300円程度の旅費だから、日当も使ってだ。(ひょっとすると今は二重払いだとか言って、日当は出ないかもしれない。)入場料を払えって事務が言ってきた。冗談じゃない。それなら教員は入り口までしか行かないって言った。
今まで教育現場は「なあなあ」でやってきた。と言うか、残業部分はどこかで目をつぶってもらってきた。それで結構バランスが取れていたのだろう。が、時代はすべて教員が錘を背負うことになったのだろう。きっと一番弱いものが社会の不合理を背負っていくのだろう。
内容によっては24時間勤務になっても仕方がないと思う。、帰宅しない生徒がいれば、父兄から電話で問い合わせがあるだろう。対応する必要はある。ブラックになるかどうかはその後の代償次第だ。昔はどこかで補償してくれた。試験期間中なら早く帰っても何も言われなかった。今は、残業の補償はない。夜10時ごろまで勤務しても、翌日はふつう時間に勤務しなければならない。挙句の果てに夏休み中に有給休暇を消化しろっていうのは納得がいかない。黙って、遅刻すれば、自分の身が危ないかもしれない。とんでもなくブラックになってきた。いずれ噴火するだろう。
新しい時代に向けて、理数科として科としての特徴をもった教育を目指す必要があった。野外研修を実施することになった。事前視察も終えて、国立の少年自然の家で実施することになった。生徒たちに発表した。「私たち行きたくありません」猛烈な反対に出会った。「少年自然の家でしょ。面白くありません。」「私たち行きたくありません」ふ〜む。ちょっと困った。自分が高校生でもきっと同じことを言っただろうって思う。「絶対、面白い研修にするから」って言い切った。楽しい野外研修にする自信はもちろんあった。少年自然の家を嫌う若者に新しい自然の家の在り方を提案するつもりだった。命にかかわらない限りは最低でも怒らない。教員が「怒らない、叱らない」などとゆうことはできないかもしれない。怒られたら面白くない。当たり前だ、
それでも、昔、思いっきり叱ったことがあった。沖縄への修学旅行だった。我々が宿泊するホテルの貸し切ったはずのフロアーの一部がダブルブッキングになっていた。前々日の夜添乗員がやってきた。階を変えてほしい。はあ?ずいぶん簡単に言ってきた。「修学旅行だから安いからなのか?」「修学旅行を馬鹿にしてはいけませんよ。」「生徒は何も言わないかもしれませんが、だから、僕が生徒の気持ちを言うしかありません。」「一年も前から、生徒たちがすべて企画してきた。お互いに虐めたり仲間外れにしない限り、すべて許してきた。」「我々は絶対動きません。」前日の昼になっても解決できませんでした。夕食時になっても話はつきませんでした。添乗員は「任してください。必ず意に添うようにしてきます。」夜12時になっても1時になっても、朗報は得られませんでした。「僕が、ホテルへ行って交渉してきます」もう朝になろうとしていました。ホテルの支配人が謝りにやってきた。一部ダブルブッキングになっていた団体が他のフロアーに動いてくれたらしい。多分無料にしたのじゃないかと思った。その団体と同泊になった。プライベートビーチが目の前にあった。夜10時ごろ点呼した。2名いなかった。もう一度点呼をやり直した。2名いなかった。何処にもいなかった。ビーチへ探しに行こうと思った。我々によく思っていない団体が泊っているかもしれない。もう一度探すからって言われた。何時だったか。見つかった。ベランダで真っ暗なところで二人で話していたらしい。悩みもあったようだったが。黙って許すわけにはいかなっかった。「どうでもよい生徒は一人もいません。全員楽しくそして無事に帰らないかん。見つからなければ我々はいつまでも探す。」本気になって叱った。
「目を配らなくても良い生徒なんか一人もいないでしょう」 恰好良い言葉だと思う。普通はひとクラス40名の生徒がいる。「そうだろう」って思うが、無理だ。ここで一人でも今指導が必要な生徒が出たとしよう。39名にはとりあえず自習をさせておくことがある。39名はほったらかしておくのだ。けれども、これはとても大切な処置だ。仮に自分に何かがあっても親身になってもらえるって思えるからだ。自習にすることを嫌がる教員がいる。監督教員を、とりわけ管理職はつけたがる。けれどもやかましければ叱れば良い。「今はA君のためにやっている。あなた達がきちんとできなければ助けてやれない」自習中に重大な事件が起きることを考えるなら、そんなことはできないが、それなら、もうすでに日本の教育は終わっていると思う。どうしようもない。一クラスに40名の教員がいる。
昔、一年が終わった3月に全員に感謝の手紙を送ったことがあった。一緒に生きたことに感謝して手紙を書いた。ほかの先生が大変だって言った。たしかに大変だ。馬鹿みたいに見えるかもしれない。けれども、来年は楽になるのだ。皆が僕が言うことなら、我慢して聴いてくれるようになる。が、しかし、なにも思いつかなくって、手紙の文言をなかなか書けない生徒が何人かいる。一年間ほったらかしにしていたのかもしれない。けれどもね。ほおっておいてほしいって思っている生徒もいないわけじゃないと思う。厳密に目を配ってもらって、情報の共有をしっかりしてもらって、そんな窮屈な学校生活って本当に楽しいのだろうか。
授業に行きなさい。教室に入りなさい。注意をすれば先生を殴ってくる。先生は暴力は振るえない。よく知っている。そうゆう生徒の親に限って、子供を叱らないで、すぐ教育委員会に直訴するのだそうだ。暴力を振るったことを最低でも謝らせないといけないと思うが、教員が我慢してそのまま終わる。昔、私のところへは市会議員がやってきたことがあった。結論は変わりませんと言って帰したことがあった。若い先生なら、ビビっただろうって思う。僕は生徒が先生に暴力を振るったら理由にかかわらず最低でも退学処分だと思っている。(一番厄介なの暴力団員だろう。暴力団の親に対等に立ち向かった伝説の校長を一人だけ知っているが)大抵の校長は最後は教員を守らない。孤独な教員はどうすれば良いのだろうか。
なかなかうまくいかない。今年も、野菜の栽培が始まった。別にどうってことはないが、基本、農薬は一滴も使わない。コンパニオンプランツのような難しいことを考えているわけでない。農薬はまく時、臭いのが嫌なだけだ。できなければできないでも良いと思うことにしているが、本当に何もできない。。農薬がなければきっと日本の人口を支えていけるだけの作物はできないかもしれないと思う。江戸時代までどうしていたんだろうって思うようになった。種を蒔けばできると思うかもしれないが、遠慮のない虫は芽生えの小さな葉を全部食べて枯らしてしまう。明日の食料を残しておこうなどという考えはまるでない。まだ若い山椒の木にアゲハ蝶の幼虫が着く。大量だ。アゲハは遠慮なんかしない。葉を全部食べてしまう。木は枯れてしまう。これでは蝶は困るだろうって思う。が、心配はいらない。食べ物がなくなっても死なない。小さな蝶になる。
かなりの害虫は地面を這ってくる。青虫やウリハムシ・・・は空中からやってくる。放置しておけば、葉は網網にになって我々は全く食べられない。自分が食べる程度の野菜なら、青虫なら発見したら取ってやれば良い。で、、空中で栽培すれば、地表を這ってくる虫からの被害は小さくなるだろう。で、昨年急いでやってみた。ペットボトル式栽培マンションを簡単に作った。2段目に移植したサニーレタスは大きく育った。しかし、そもそもレタスの仲間にはほとんど害虫はつかない。ついてもナメクジかヤスデぐらいのことだ。気持ちは悪いが、野菜が枯れてしまうほどの被害はない。収穫したら、虫を追い出せば良いだけだ。農薬は普通必要がない。だから2段目に栽培する意味はあまりない。秋になったら、ペットボトル式野菜マンションで、葉物野菜を作ってみようって思っている。(マンションの最上階は水をやるペットボトル。その下にパンジーを植えています。その下の階は育たなかった水菜か小松菜。とりあえず植えただけなので土は粘土質で最悪の土です)
猛烈に花粉が降ってくる。これまで花粉にはほとんど興味はなかった。アレルギーじゃなかったからだ。最近、知り合いの老人が(自分も結構な老人だが)マスクをして近づいてきた。「どうしました?風邪でもひきましたか?」「花粉アレルギーです。ひどいです。」車の前まで連れて行ってフロントガラスを見せてくれた。私は今まで花粉にはあまり興味はなかった。黄砂は降ってくるのは知っていたが、花粉はそれ程の物じゃないと勝手に思っていた。
岩波洋三の「花粉学大要」って本がある。図を見ったって何の花粉なのか分からない。スライドガラスになんだったっけ。ワセリンなのかグリセリンなのかグリースなのかを塗って置いておけば、降ってきた花粉を採集できると書いてあった。染色すると良い。昔、やってみた。ほとんど花粉を見つけられなかった。仮に数個見つけても何の花粉なのかわからない。最低でも数年間真面目にやらないとわかるようにならないと思った。何ら得るものはないまま直ぐやめた。これほど多量に降ってくるものをどうして見つけられなかったのだろうかって今では思う。初めての人は花粉が多量に降ってくる季節に始めないと興味を持てないまま終わる。
窓ガラスに付着した黄砂なのか花粉なのかをセロテープに貼り付けて採取した。
このセロテープをスライドガラスに貼り付けて顕微鏡で観察した。スギだと思うが、大量の花粉だ。飛散量を毎日継続的に調べるとそれだけでもすごいデータになっていくだろうって思う。
3.11、東日本大地震があった。原子炉は決してメルトダウンはしないとTVは報道していたが、今では当たり前のようにそう言っている。(ついでだ。あの日地震直後TVでは90cm程度の津波がやってくると言っていたと思う。それなら逃げれるだろうと思っていた。しかし・・・。誰もそんな報道があったって言わない。私の勘違いだったのだろうか)さて、建屋は爆発した。大量の放射性物質が飛び出し降り注いだ。爆破する前と後で放射線線量の変化をネットで報告しているサイトを見た。爆発の前から継続的に記録していたのだろうって思う。事故が起こらなければ、ほとんど毎日変わらないから、きっと毎日面白くないだろうって思う。が、根気よく、毎日ってことがすごいことに変わっていくことがある。花粉の飛散量だって100年とか200年のデータはきっと貴重はものになるだろうと思う。が、僕はやらなかった。花粉が分からないから、できなかった。
ついでに蚊取りに挑戦は難しい。が、もっと簡単な装置を作って今年もチャレンジします。
今年から中学校の先生になった。初めての授業は身の回りの生き物についての実験らしい。顕微鏡で生き物の世界を見るのだそうだ。ついでに顕微鏡は十数台しかないらしい。二人に一台もないかもしれない。経済大国って昔は言われたが、一体その間何をしていたのかって思う。日本の未来はちょっとあぶないかもしれない。プログラミングの授業が始まったようだが、一番大切なことは何をやりたいかということだろうと思う。
めちゃめちゃ簡単そうだ。生物が居そうな水を採取してくれば良い。ところがそうも簡単じゃない。今はまだ、四月なのだ。地上に虫がまだ現れないのと同じように、水のなかでもあまり生き物は見つけられない。それぞれの生き物がどのように冬に命を守りぬいているのかはよく知らない。が、それがテーマならそれだけでも何十年もかかりそうだ。仕方がないので土筆の胞子を観察したらどうかって提案した。典型的な顕微鏡の使い方にはならないから、ちょっとは気が引けるが、使い方の学習とか慣れるにはこれで十分だ。横から息を吹き付けて湿度を上げると糸が巻き付いて粒粒になるが、そのまま乾燥してくると糸が伸びて生きているようにムニュムニュと動く。気持ち悪いが、面白い。生徒は結構喜ぶ。が、しかし、私は一度も、質問を受けたことがありません。胞子っていうけれども、花粉とはどこが違うのだろう。質問しないのがいけない。先生はそんなことは知りませんって言えば良い。先生はなんでも知っていると思うかもしれないが、私はそんなに知らない。私は学ぶのは君たちだって言ってきた。少ししか教えないが、君たちは学ぶこと多しだって言ってきた。
この観察で私が興味を持つのは生き物のように動くけれども湿度の変化で物理的に動いていることだ。花が開く。ツルが巻き付く。巻きひげが巻き付く。ひまわりが太陽の方向を向く。こういった植物の運動と同じようなものだと思っている。セロハンか何かで土筆の胞子のモデルを作ってみようって思ったが簡単じゃなかった。
モンスタークレーマーは本当にモンスターか。
社会構造にはなにか問題はないのだろうか。あのバカのようなSNSへの投稿もその根元は変わらないのかもしれないと思う。
右は最近開店したセルフガソリンスタンドだ。ピンクの線ははこのガソリンスタンドでの入ってくる車の動きだ。(これに出ていく車の動きを記すとわけが分からなくなる)とても複雑に交差しまくっている。給油する車が少ないときは何ら問題はないだろうが、混雑するときは極めて危険だ。何処から車が突っ込んでくるのかまるで分らない。
混雑するときは危険だろうって言った。ただ管理室で座っているだけじゃなく、交通整理ぐらいしたらどうだって言った。セルフだから我々の仕事じゃないと言われた。客に任せているのだと言った。セルフだから店にはそんな義務はないのだと言った。事故が起きたときはスタンドには何ら責任はありませんと言われたが、本当にそんな姿勢で良いのだろうか。
安全な店舗を目指さない企業はいらない。セルフだからすべて客の問題だと言うならどんなクレームを言われても私は仕方がないと思う。クレーマーは私だ。モンスターだとは思っていない。クレーム=モンスターだと言って放置していく社会になっているのじゃないだろうか。クレームを真面目に取り上げないで、まずとりあえず謝っておけば良いみたいなマニュアルがあるような気もする。ここはまだはっきり言いきっているのが良いのかもしれない。、セルフだから多分原則人はいないものと考えるのだろう。ここで起こるほとんどすべての事件は客が解決するべきものと考えていると言っているのだと思う。スタンドはガソリンと灯油の販売をお金の支払いだけは確実にさせて無人野菜販売所のように実施するというのだろう。企業の利益にとって都合のいい社会システムを構築しようとしているとしか思えません。大手企業は資本を投資して店舗を作れば、なにもしなくても良いのだから。原則、法律がなければ、従業員もいらない。
ついでに蚊取りに挑戦は難しい。が、もっと簡単な装置を作って今年もチャレンジします。
ちょっと田舎の道を歩いてみてください。田圃も畑も太陽光発電所にどんどん代わっていきつつあります。電気を食べて生きろとでも言いたいのでしょう。これからもまだまだ日本の農業は消えていきます。農業の担い手の多くが老人だから。畑や田圃は高電圧の野生動物防止装置で囲まれるようになってきた。一番の害虫じゃないが害動物はシカも見かけるが多くはイノシシだろう。来年は彼の年だが。ブルトーザーのような生き物だ。一晩で芝生はひっくり返される。きっと農民はこのやろうって思うだろうが、彼らは法に保護されている。飼い主のいない犬は殺処分される。ウロウロしている猫も保健所からどこへ行くのだろうか。イノシシにやられて農業をやめた個人農業者は沢山いるだろうと思う。クジラは調査捕鯨と言いながら、日本は間引きというのか捕獲しないといけないと主張してきた。(個体群の崩壊という現象は人間の無知を知らしめた事柄だ。つい最近まで知らなかった)が山の害生物は増えることはないのだろう。・・・山も海も同じようものだろう。農業や漁業は日本で存続できるのだろうか。機械が発達してきたから、一人の人間で多くのことができるようになってきたが、それでも、年寄りがなくなれば、田舎では発電所が増えていく。ついでに家庭用電気代は高くなっていく。太陽光発電などの電気を購入し、発電量を減らした電力会社がこれまでと同じ利益を確保するには電気代を上げるしかない。発電量を減らしたのであれば利益が減るのは当たり前だ。発電量を減らしたのだから仕事量も減ったはずだ。電気代を上げないで経営しなければダメだろうと思う。画像は縦型ペットボトル野菜栽培。地表面を這ってやってくる害虫の被害を避けられないか。農薬を使わなければレタス類を除いてほとんどの葉物野菜はできません。「あんどん」って知っていますか。まだ小さな野菜の苗を囲って害虫から守ってやる簡単な装置です。湿度が保てたりもできますが、地表面を這ってやってくる害虫から守ってやることもできます。それでも虫は強い。農薬を使わなければなかなか作物は出来ません。江戸時代は農民はどうしていたのでしょうか。どうも、基本出来たものを食べるってことらしい。できなかったら、きっと山へ行くしかなかったのだと思う。きっと山へ行くことの方が多かったかもしれない。コンパニオンプランツなんというものがあるが、結構うまくいかない。図のように野菜を作れば、地表を歩いて広がってくる害虫からは被害を受けないで育つだろうと思う。やってみようって思いますが今は冬だ。そのうち。そのうち。
神戸・東須磨小学校の教員による教員虐めのニュースが世間を賑わしている。一体、何があったのだろうか。信じられないほどの事件だ。多分生徒間の虐め問題も含めてしっかり検証しないとこれからも同じような事件が起きるのかもしれない。僕が若いころはって言うと、「聴きたくない」って言うだろう。が、敢えてごめんなさい。生徒間でさえそんないじめ問題はなかったと思っている。確かに小学校4年のころだったか、6年生が威張っているからと言って、4年生が集結してやっつけてやろうって話が出たことはあった。武器は素手とか箒とかだ。河原に結集するんだろうて思ったことはあった。何が問題だったのか当時から今もって分からなかった。初めは勢いがあったが次第に消えていった。尻つぼみってやつだった。首謀者は誰だったか、覚えているが、言わない方が良い。でも僕じゃない。
僕らは皆それぞれの部分でそれぞれの役割を担っていたと思う。クラスでも学年でも勉強はからっきしできない友達が何人かいた。勉強だけじゃない。大抵なんでもできなかった。でも、僕は見ていた。体育の授業の始まりのときだけは活き活きとしていた。一番最初にグランドへ出て行った。バレーボールの授業なら、ネットを出して張っていた。ボールを倉庫から出して準備をしていた。後から出てきていきなり練習を始める無神経な奴らは好きにはなれなかった。先生はそんな生徒たちの姿に気が付いていたのだろうか。さて、そんなことはどうでも良い。というか、今日の虐めの原因はよくわからないが、学校も含めて社会の在り方にもなにか一因があるかもしれないと思うが、分からないから後回しにしている。
ところで教員の問題だ。普通は考えられない。学校は一人ではできない。大抵は学年の先生はまず一丸となる。高等学校なら、学年団が生徒指導をする。個人がやっているわけじゃない。虐めあっている教員集団では何も教育活動ができない。支えてくれる仲間の教員がいるから、問題に立ち向かうことができると思っている。
昔、対外模試があった。3教科のうち数学だけ極めて低迷していた。ある程度の学力をつけておかないと、後で挽回するのはしんどい。数学の若い先生にどうにかならないのかって聞いた。「どうにもなりません。来年に期待しましょう。」って言われた。なんだこの答えは。この生徒はもう駄目だからということだ。頭にきた。腹がっ立った。勉強だけが人生じゃないからって言うなら納得するかもしれないが。興味が持てる数学の授業を目指しているのであれば、きっと、もっと尊敬しただろうって思う。来年の生徒に期待する。馬鹿じゃ。これ以上言い合うに値しない。今のこの生徒に申し訳ない。数学の力はすごい先生だと思ってきたが、もはや一緒にやらないだろうと思った。思っただけだ。でも、無視をしても虐めじゃないと思っている。
それにしても虐め続ける教師って、信じられない。ひょっとすると学校全体が駄目なんだろう。学年団とか学校組織とかに問題が隠れているかもしれない。学校が目指しているものは何だろう。その目標の理想に向かって集団で活動することが大切だろう。何処の学校にも目標があるだろうが、単なる飾り物になっていると思っている。自主とか自立とか自学とか言って、自習の時間をなくそうとする学校ってどうなんだろう。長期休暇期間を短くしようと奮闘するって何だろう。完璧に学習計画指導を管理することはいかがなものかとも思う。僕は自由度ってものがこれから先重要だと思っている。随分昔の話だ。
今、田舎で何が起こっているのだろう。私は放置できない事態になろうとしているかもしれないと思っている。私は田舎に住んでいるわけだからほとんど毎日田舎を走っている。ほとんど人には出会わない村がある。サルやニホンカモシカにはたまに出会う。わが町でも熊の目撃情報が一年に一度は放送される。こういう村ではたまに人に会うと、爺ちゃんか婆ちゃんだ。若い人や子供はどこへ消えたのだろう。
さて、田舎の田んぼや畑は結構よぼよぼのじじばばがきりもみしている。いつまでもやれない。小さな農家だ。後継者になるはずの若者は都会へ出て、村にはいない。昔と違って、機械があれば、一人で田植えができる。が、それでも、齢には勝てない。体が動かなくなれば、農業はやれない。(昔は農繁期って言われる時があって、田植えとか稲刈りの季節には学校でさえ休みになった。家族総出だ。農業はこの時若者に伝えられてきたと思う。今は知らないうちに田植えは終わっている。)
右はある地域のグーグルの航空写真だ。広大に広がった、太陽光発電パネルが見える。山の斜面だから、田んぼや畑が消えたわけではない。それなら問題はないのかもしれない。が、問題が見えてくるのはもっと先のことだ。さて、この数年で、田舎の耕作面積はずいぶん減少してきたのではないかと思う。これからももっと減っていくだろうと思う。太陽光発電所が増えた、荒れ地が増えて、行政からの警告があるから、除草剤をまき散らした耕作跡地が増えた。
これから先もどんどんこの傾向にあることは間違いないだろう。田舎の耕作地がどの程度減っていくかの予測は簡単にできるだろうって思う。政府は食料の自給を掲げていたと思うが、その実現は夢の夢だ。今、できる手を打っておかないと、後になって反省してもどうしようもない。田舎道でレストランを探して笑っている場合じゃないかもしれない。
将来の農業をどうするかって、今考えておく必要があると思う。ひょっとすると漁業も同じかもしれない。
教師の暴力事件が社会を騒がしている。「暴力は絶対いけない」言うのは簡単だ。荒れた学校に一度行ってから意見を述べたら良い。警察は棍棒を持って正義の旗を掲げている。拳銃を持って身を守っている。暴力的生徒は学校には怖いものは今は何もない。学校のなかならやりたい放題でやれる。賢い者は校外ではやらないか、巧妙にやる。校外で警察沙汰になれば退学処分が待っているからだ。そんなことが学校であるのかって思うかもしれないが、今の日本の学校ならあると思っている。中学なら荒れたら、手がつけられないと思う。退学処分がないからだ。「授業をきちんと聴きなさい」「校則を守りなさい」「友達を虐めるな」ってことは力を持ってでも、強制される。学校だからだ。くだらない校則があるかもしれないが、力で反抗する生徒は力で排除されても仕方がない。不満があれば、話し合えば良い。
昔、一度ネクタイを、胸座をつかまれたことがあった。これはまずいと思った。これをこれ以上許したら彼を退学処分にするしかないだろうと思った。教員に暴力をふるったら最低でも退学だと思っている。けれども、最近は教員に暴力を振るっても、横向いて謝れば済むことが多い。「誰にやっているのか分かっているのかっ」って言った。彼は黙って離れていった。
けれども、もっと大切なことはそうならないように努力することだ。しかし生徒の暴言を許したり、辛抱したりすることじゃないないだろうって思う。当たり障りなく、注意したり、叱っただけで解決なんかできないだろうって思っている。表面的に取り繕っているから、虐めやそれによる自殺事件がなくならないのだろう。すくなくとも許せないことには本気で怒らなあかん。罰を与えたら一緒にやることだ。お互いの意思疎通を図ることだと思う。高校生なら二から三年はかかるだろう。決して生徒の暴言や脅迫に目をつぶったり背けたりすることじゃない。見て見ぬふりをするなら学校は終わりだ。今は昔と違って、挑発してくる生徒は沢山いるだろう。思い通りにいかないからだろう。ちゃんと不満を言える場を用意する必要はあるだろうって思う。黙って聞いてやれる先生が必要だ。けれどもそれでも、それでも解決できなければ、暴言にしか過ぎなくても排除せざるを得ない。棍棒を持たない教員には生徒の暴言は暴力と変わらない。