このページはいつ終わるのだろう。実験の話だったのに、ちょっと昔話をしよう。

 大津市のいじめによる生徒の自殺の報道は、私は真実を知らないが、胸が痛む事件だ。昔からある。子供の社会、大人の社会、何処にでもある。虐められるがわにも問題があると誰かが言う。財布がなくなりました。名前は書いてあるのかと聞かれる。名前など書いてあっても何の役にも立たないだろうが、逆に叱られる。車に鍵を掛けておいて、コンピューターを盗まれると盗まれた教員は解雇となる。盗んだ者の責任を問わないなら社会は崩壊するだろう。そんなことはないと言うかもしれないが、真剣に犯人を捜さないのだから、盗まれた教員が悪い訳だろう。外国はそうかもしれないが、日本は今まではそんなことはなかった。
 昔、外国人の生徒が一人バス停にうつむいて座っていた。どうしたんだろう。「先生、僕の父は真面目に一生懸命働いてきました。それなりに認められて責任ある仕事を任されてきました。」きっと***長と言われて来たのだろう。「でも、外国人という理由で会社を最初に解雇されました。僕はどうしたら良いか分かりません。学校を続けられるかどうか分かりません。」私は彼に何もしてやれなかった。解雇される側にも問題があるとして、それはいったい何だったのだろう。まさか人間だったことじゃないだろうと思うが。
 これもまた昔の話だ。虐めに合っているだろう生徒にであった。訊いても何も言わない。これでは何も解決しない。それより何より、放置しておけば見えない所から学校が崩壊していくことが明らかだ。事件の内容は全く覚えていない。けれども真実を明らかにしなければ、学校とは言えないと思った。全力を注いで君を守ると言ったと思う。数十名の全教員が君のみかただとも言っただろう。やっと何が起こっているのか話し始めてくれた。私は校長室に呼ばれた。労いの言葉があるかと思ったが、「学校は責任を持てません。」って言われた。じゃあどうしろって言うんだ。警察を入れるなら校長しかできない。(ひょっとすると教育委員会かもしれない)それとも見て見ぬふりをしろっていう意味か。腹が立ったが、私は馬鹿だ。こんな言葉は忘れてまっすぐ進むしかなかった。信頼して話してくれた生徒に申し訳ない。反対を押し切ってやったこともあるが、この時は集会を開いたかどうかは記憶にない。そんなことをやってもってよく言われる。けれども、授業なんかどうでも良い。豊かに生きることが出来ないなら、学校じゃない。学校での私の居場所を明らかにして、校内での対処の仕方を説明した。校外であればどうするか説明をした。警察の力を借りてもかまわないとも言った。一ヶ月ほど緊張の日々が続いたが、彼が卒業するまで、これ以上のことは起こらなかった。虐められる側にも問題があると言っている限り、何も解決しないだろう。好きになれとは言わないけれど、人格を尊重しなければニワトリの社会と変わらないだろう。醜いアヒルの子を作らないのが人間の生き方だろう。相手の立場にたって考えることが出来るのが他の動物にはない人間の特徴だ。けれども、ゾウやサルでも仲間の悲しみに泣くかもしれない。
 これもまた随分昔のことだ。事件の大部分は忘れてしまった。多分虐めに類することだったと思う。ある一人の女生徒が皆から嫌がらせを受けているということだった。女生徒のグループ行動ではよく起こることだと思われている。どんなに悲しいことでも、そんなものかと言えばそれだけのことだろう。女子生徒のグループ?女子に特有なこと?そんなことはない。男子だって同じだ。荒んだ集団の中では女子でも男子でもあり得る問題だろう。嫌がらせの落書きがある。嫌がらせの手紙が送られてくる。鞄が消える。ジャージが勝手に散歩する。昔のことだから、メールやブログの書き込みなどはなかったが、放置できない事件だった。地域でも有数な進学校だった。被害生徒に一部の非があったにせよ、許すことが出来ない事件だった。起きていることのすべてが加害者の責任であり罪だ。このまま放置すれば、いつか加害者の多くの生徒を処分しなければならなくなるだろう。私は学年集会を要請した。定期試験や学校行事が詰まる中、多くの教員の反対にぶち当たった。試験なんか別の日にやれば良い。被害生徒でさえ、公にすることを拒んだ。被害生徒とその保護者を必死に説得した。何もしなければ、時間に任せれば解決されるとは考えられない。豊かな学校を守るにはこの問題をとりあえず解決するしかないだろう。本人と保護者の了解にやっと辿り着いた。けれども、指導部も教頭も集会に反対した。時間がない。効果的な集会のチャンスは今しかない。校長がやってきた。「すべてをお前に任せる」そう言ってきた。(前述の校長とは格がちがう)
 私は怒りはしなかったと思う。事件の全貌を話した。楽しく豊かな学校について話をしたと思っている。これで解決出来なければ徹底的に調査に出るしかないだろうと思いながら話したと思う。あのー。ついでだけれど、こうなった時って、学校はすでにおよその見当がついているんです。加害者の名前もすでに出ています。その後暫く情報収集に神経を使ったが、靴もジャージも教科書も勝手に散歩に行くことはなくなった。若者だから失敗はあるだろうけれど、こうしてより豊かな学校になれるのは素敵な学校なのだろうと思う。だから何があっても好きになれる。
 やがて私は窓際族になった。ほとんど生徒の前で話すことはなくなったが、まれに少しだけ時間が与えられることがあった。もう何も話したくはないことが多かったが、荒んでいく若者には心を痛めてはいた。俺たちは駄目なんだってレッテルを貼られていると思っている生徒達だ。そんなレッテルを貼っているのは自分自身だろう。自分にできることがあると思って欲しかった。今日一日で何かをやれっていっている訳じゃない。10,20,30年の時間がある。誰かのために好きなことをやれば良い。それだけのことだ。試験をやると欠点になる生徒がいる。けれども間違えてはいけない。人間が悪い訳じゃない。人間として欠点だって言ってる訳じゃないから。そんなことを言って答案を返してやった。
 「あの子が悪い」「この子が悪い」あの子があなたの悪口を言っていた。・・・・昨日まで仲が良かったのに今日は睨んでいる。グループから別れて・・・。なんか、メチャクチャな人間模様だ。こんな集団が良いわけがない。いずれもっとグチャグチャになってグループ対グループの抗争劇に発展しそうだ。どのグループにも入れない仲間はずれの生徒ができるかもしれない。何かの折りにちょっとだけ話す機会ができた。他の先生がやれば良いが放っておけなかった。結構考えて「人間が作った3つの失敗作と神様が作った一つの失敗作」って話をした。付箋とホッカイロと濾紙を用意した。神様の失敗作は人間だ。皆欠点がある。お互いに欠点を責め合っても良いものは生まれないって言った。僅かの時間に話をまとめるのはちょっと大変だったが、崩壊しそうな生徒集団に贈ってやれる私の言葉だったと思っている。http://kajitadani.sitemix.jp/kakotoppu11.htm再びまた話す機会ができた。私は嫌だと言ったのに、時間が余るだろうからって理由だ。http://kajitadani.sitemix.jp/kakotoppu8.htm 「真実は自分の目で確かめろ」という話をした。噂や陰口に翻弄されている生徒達に贈ってやった話だ。短時間だったけれども、飛行機の飛行についてのデモンストレーションも入れて1日は考えた。模型飛行機の飛行実験も自費で購入して直前まで練習した。逆さに飛ばした飛行機が空中で自己復元して飛ぶはずだったが、いきなりバラバラに空中分解をした。どーっと笑われたが、それもまた良しだ。強風にでも煽られて逆さになったトンボは空中を飛べないとあたりまえのように信じていた。けれども、そうじゃないことに気がついた。トンボは逆さになっても飛べるけれども、逆さに飛行すると着地するとき頭から激突するだろう。それではトンボは困るのだろう。あの子がこう言っていたとかこの子がああ言ってたらしいとか。噂のような不確かな情報に惑わされないで、真実は自分で確かめたらいい。

 靴を隠した。ジャージや教科書を隠した。理由もなく無視をする。身体的特徴を馬鹿にする。これはいじめだろう。殴った蹴飛ばした。嫌がる相手にプロレスの技を掛けた。脅した。脅して金をまきあげた。間違えちゃいけません。これらはいじめじゃあありません。犯罪だ。殺害を示唆するような発言をした。これも立派な犯罪だ。遊びでした。そんな言葉ですむわけがない。こんなことが今学校で起こっている。昔学校は暴力的に荒れることがあった。最近は荒れた子供の心は表に出ないようになったんだろう。どうしてだろう。指導要領が変わったからだと私は思っている。

昔、教育委員会にいたこともある中学校の校長に学校に問題があると言ったことがある。我々と見解が違うと言われた。それでも問題は学校で起きている。不登校の生徒が行けないのは学校だ。いつか議論をしないといけないだろうって言われたが、そんな面倒なことは私はしたくない。社会環境が悪い。家庭に問題がある。結局よく分からないから、何もしないで終わる。ゴマすりとハイハイ学校では何も解決できないだろう。少なくとも正当な意見が通る学校でなければならないと思っている。世間体でもない、評判でもない、進学率でもない。理想を毅然と求める精神が必要だろう。普通の学校には学校目標ってものがあるが、大抵は飾り物にすぎない。***、***、自学。とあって、毎日のようにテストがあって、不合格だと写経のようなペナルティーが課せられる。これを自学と言うのだろう。NHKの内部告発による朝日新聞の記事は昔、随分話題になった。NHKの職員にあの事件はどうなったんだと訊いた。社ではなかったものとして扱うと言った。それはおかしいだろう。あったことがなかったことになるはずはない。どこかおかしい。


 今度は仙台だ。私立高校らしい。真実は知らないが、ありそうな話だ。20カ所にも及ぶ根性焼きだ。これは虐めなんかじゃない。れっきとした犯罪だ。未成年だから犯罪ではない。そんなことはないだろう。確かに昔からあった。先生に見つからないように目立たない所をやるのが常套手段だだった。不審に思って訊くと、普通は何でもありませんって答えてくる。けれども直感が正しければ放置できない。ここから生徒との神経戦が始まるが、虐めとか犯罪とかより、こうゆう不正義は許せない。学校は理想を追う社会であるべきだと思う。加害者である生徒をも守るには一日も早く真相を明らかにしないといけないと思う。

 ところで仙台へ戻るが、真実はよく知らないがこの事件は許せない犯罪だろう。被害者が自主退学を迫られたという。学校が犯罪者に加担したというのだろうか。報道が正しいのであれば、学校が裁かれて当然だと思う。数十人という善良な教員がいても正義が踏み滲まれるのが学校という組織かもしれない。1日経って自傷だと報道があった。・・・。わからんなあ。自傷なら普通なら精神科医の診療を勧めるものだと思っている。それでも解決できないほど危険な精神状態にあるなら治療のために自主退学もあるかもしれないが。仮に被害者が自分でやったと言っても、真実を探らなければいけないだろう。そうでなければ豊かな学校にはなれない。

 被害者はついに退学処分となったと報道された。これは学校の社会に対する挑発だろう。被害者を切り捨てて、犯罪者を保護したのであれば学校が裁かれなければならないと思う。公立とか私立とかの問題じゃない。私立学校ならなんでもできるって訳じゃない。この事件はちゃんと処理しないと一生懸命頑張っている多くの教員に申し訳ないだろう。そうでなければ学校から夢が消える。


 塾生はまだ集まらない。だいぶ横道に逸れてしまったが、心豊かな学校でなければ本当の学びはできないと思っている。どうせ暇だからこれぐらいは良いだろう。

 今年は学校とは関係を持たないつもりだったが、国語の授業で和紙の葉書を作る授業をやりたいと要請があった。全くの善意にしかならないが、昔の仲間だ。手伝いに行くことにした。授業で紙漉をやるためには少しは工夫が必要だ。機材を材質を変えて実験して作ってきた。10年は時間が必要だった。一緒にやってきた仲間にはいくらでもポイントを教えるだろう。けれども、そうではない人の手伝いをするつもりはない。さて、実際に指導をするのは国語の教員だ。俳句の授業だ。けれども、紙ができればそれで良いとは思わない。紙漉の原理とか、紙とは何かを考えさせると、授業に深みができて面白くなるだろう。紙の主成分のセルロースの話になった。我々の食べ物のデンプンと大して変わらない。いずれもブドウ糖が沢山結合したものだ。私たちはデンプンは食べるけれども紙は食べない。私たちはデンプンは消化できるけれども、セルロース、紙は消化できません。国語の先生から「セルロースの方がブドウ糖の結合力が強い」 私はなるほどと思った。そんなふうに考えたことはなかったが、素敵な発想だと思った。人間は相当高等生物だから、人間では消化できないとすると結合する力だ強いのだろう。けれども、シロアリは紙を食べる。我々はシロアリに負けているのだろう。十数名の授業だったが、100分あると思ったのに50分だった。ちょっと時間が足りなかった。放課後もう一枚作りたいと言って何名かがやってきたらしい。良いことだ。またやってみたいと言う気持ちが次に繋がるだろう。自分で満足できる物にしたい。そうゆう子供達の心を大切にしたい。原料に余裕がある限り力になってやれば良い。

 また虐めによる自殺問題が起きた。岩手県の中学生。日本中がその担任に非難の嵐を被せている。。虐めや自殺のサインに善処しなかったというのだろう。一人を非難するのは簡単だ。けれども冷静にもう一度初めから考えてみよう。手も足ももぎ取られた今の先生は今や無力だ。叱って治るものなら、虐めなどとうに無くなっているはずだ。生徒のサインを見逃したことを非難するのであれば、それは担任だけじゃない。皆だ。虐めがあることは皆知っていただろうと思う。しかもそれは暴力という犯罪を伴って起こっている。暴力と子供の喧嘩を混同して同じ対処の仕方をしてはいけません。少なくとも暴力は許さないという決意があればこんな結果にはならなかっただろう。担任以外誰も知らなかった。そんなことはありえない。知っていても、知らないことにすれば幸せなんだろう。学校という社会に今重大な問題があるのかもしれません。。死にたいと言う生徒に何をやってやれるのか。原因を物理的に取り除いてやること。正義に生きる強い心を育成する。はっきり言えばどちらも難しい。ひょっとすると日本社会全体かも知れないが。校長の「私は聞いていない」という発言を聞くなら、担任が一人で問題を抱え込まざるを得ない状況だったのかもしれない。生徒の死に本当に心を痛めているのは、非力だったかもしれないが、学校では担任の先生だと私は信じている。学校や地域全体の問題として、皆で対処できる環境が整っていればこんな結果にはならなかったと思う。

壊れた箒で古代の暖かい火 火起こし機
 
壊れた箒を改良して?火起こし機を作った。右のように作った火起こし機を右へ90度回転して縦にして使う。おもりを上手く中心につけないと回転にふらつきが出来て上手く火がつかない。おもりには普通木塊を使うが、中心をとるのが結構難しい。1.5gのペットボトルの先を差し込んでセメントを流し込んで固めておもしを作る。これでほぼ回転のバランスが取れる。ただセメントが固まるのに時間がかかる問題があるが極めて安価な火起こし機だ。学校には壊れた箒は沢山あった。三人で一機作った。火切り板を作って心棒を差し込めば準備完了だ。水平の板を両手で持って上下させると箒の棒が回転する。煙が出てくるが、ここからが勝負だ。種火がつくまで気を緩めないことだ。ここで一気に回転数を上げる。種火を解した麻ひもに入れて息でも吹き込めば突然火がつくだろう。生徒と社会の先生を交えて火を起こしに挑戦した。ちょっと快い疲れた体には、この火が暖かい古代の光に思えた。何をやっても自分は駄目だと思っている子でも、慣れて上下運動のタイミングを上手く取れるようになると面白くなる。最後、煙が出てきたらあと少し励ましてやることだ。ちゃんと火種が出来る。火がつけば自分に自信が持てるようになるだろう。出来た火起こし機を欲しい人に持って帰ってもらおうと思ったが、誰も持って行かなかった。こんなものがゴロゴロ増えても困りものだ。けれども、これだけなら技術かもしれないが、科学じゃないだろう。エネルギー保存の法則を話して、熱はどこから変身してきたのか考えるか。それとも縄文の科学を考えるか。私は宮沢賢治の世界が思い浮かんだ。ササニシキやアキタコマチやこれらの耐寒性の稲の品種改良に成功するまでは東北は栃の木を大切にしなければならなかった。栃の実煎餅でも食べながら、豊食の時代に生きていることに感謝したら良い。下は安江 健一先生(独立行政法人日本原子力研究開発機構)の断層煎餅だ。火起こし機とは違うが、断層の勉強をするというか食べるとかなり旨い。何万年か前の地域の川の流れがうまく分かる。生徒がメチャメッチャ下手くそだったから、手本を見せようと思って、「こうやるんだ。よく見ておれ。」と言って、力を入れた。皆の注目のなか、煎餅は粉々に割れた。どっと笑われたが、「最後だから、皆で分けようと思ったんだ」って、負け惜しみを言って、終わった。

サイエンスじゃらんーじゃらん
           本当は ジュクじゃが
アクワイアー・桜

-面白い実験でたしかめる生物の不思議-

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