図々しい客だ。作品制作のお願いに菓子折りひとつしか持って行かなかった。20年以上も前の話だ。細かいことは忘れてしまったが、随分歓待していただいた。鎌倉の町をいろいろ案内していただいた。制作費も払わないでアトリエや鎌倉の美術館まで見させて頂いた。当時の若者やら教育やら芸術の話をしながら夕食までご馳走になった。「お金はいりません。」「けれどもお願いがひとつあります。」「この作品が出来上がったら、私の両親にひとつだけ届けてください。」若いころ両親の反対を押し切って東京へ出てきた。心配はかけてきたが親孝行らしいことは何一つしてこなかったと言って。高校の玄関前にある「無限」の像の近くへ散歩に行っているという両親への心遣いだろう。私は少し涙ぐんでこの小さなミニュチュア無限を手にした。
 新しい「無限」の石膏原型像をそーと胸に抱えて帰ってきた。ちょっと光が見えてきたような気がした。早速鋳物業者に電話をした。全く相手にしてもらえなかった。1000円じゃあできませんよ。どうしたものかと落胆したが、それ以上交渉する余地はなかった。先生に謝りの電話を入れるしかなかった。「本当にご迷惑をおかけしました。ご好意に甘えてきましたが、制作は困難になりました。すみませんでした。」先生は「諦めないで、少し待ってください。」って言ってくださいました。しばらくしたら鋳物業者から電話がかかってきた。「1000円で作ります。」
どんなマジックを使われたのかわかりませんでした。不足分を先生が払われたのか、他の仕事を発注されたのか。でも、そんな詮索は失礼なことだと思った。結局最後まで先生の好意に甘えたままだった。
 出来上がった「無限」の像に先生の制作にあたっての言葉を添付して卒業していく生徒たちに渡した。私の周りの人たちの優しさに深く感謝しながら、ほっとした。ところがこんなのはいらないと言って持ち帰らなかった生徒が何人かいた。私は蹴飛ばしてやろうって思った。が、しかし、足はでなかった。代わりに涙がでた。先生のサイン入りの作品だ。1個10万円近くすると言ったら持ち帰っただろうと思うとさらに辛くなった。
 最後に私は金属に命を吹き込まれたこの「無限」の像を大事に抱えて、先生のご両親に届けに行った。なんか、涙があふれてきた。たぶん何も言わないで逃げるようにして帰ってきたような気がする。
これはある高等学校の玄関先にある石像のミニチュア像です。「無限」と名づけられた裸婦像です。「無限」。30数年の教員生活のなかで最も思い出深い御影石です。彫刻家岩田実先生の作品です。彼によって命を吹き込まれた。
 20年以上も前のことだった。そのころ卒業する生徒に在校生から記念品が贈呈されていた。1個当たり500円。当初は陶器の記念皿だった。不況の嵐はこの地域の陶器産業を直撃した。沢山の陶器会社が店じまいに追い込まれた。500円の記念陶器皿は不況の嵐の中で消えていった。
 はて、さて、これはどうしたものか。生徒会に相談した。いくつかの案が出たが、小さな「無限」が一番人気が高かった。「無限」文鎮。それにしても500円で文鎮ができるのだろうか。
 このまま勝手にミニュチュアの「無限」文鎮を作るわけにはいかない。何をさておいても作者の同意が必要不可欠だった。早速作者に電話をしたが、勿論断られた。
 「新しい作品を作ります。」・・・けれども生徒会にはそんな費用はなかった。「お金はいりません。」本当にお金はなかった。用意できるお金は最大ひとつ1000円までだった。それもPTAの特別援助を受けての話だ。鋳物会社に支払ったら1円も残らない。「先生、本当に申し訳ありません。」
 私はお土産の菓子折りひとつ持って先生が住む鎌倉へ向かった。
 
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無限
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