あれから十数年後だったと思う。奥様から電話があった。ミニ無限像の制作にあたって記したコラムを探している。どこかに必ずあるはずだ。像と一緒に保管されていると思っていたが、見つからなかった。しばらくして連絡がきた。実家へ帰ったら、床の間にこの像が保管されていたらしい。大事にしまってあって、この箱にあった。ご両親が大切に保管されていた。二人は同級生だから、きっと若かりし頃何度もこの辺りを歩いたことだろう。親孝行らしいことは何もしないで、芸大へ進学した。そう言われてたった一つの像を昔届けに行った。

 今日手紙が届いた。飾り気のないはがきだった。このところ、年末、何通か届く。誰からだろうと思う。知らない名前の差出人だ。喪中はがきだ。彼は高校の一年先輩だった。学生時代は全く知らなかった。石の彫刻家だ。僕が心配することではないが、一年にきっと一体制作できるかどうかってぐらいだろうって思う。本当にちゃんと生活が出来るのだろうかって思う。ここは日本だ。ヨーロッパなら。もう少しはゆったり生活が出来るだろうって思う。同級生と結婚して二人三脚で励ましあってきたんだろうって思う。
 わが町の市長は芸術には全く関心がないって誰かが言っていた。市の芸術祭とか、絵画の展示会はあるが、たいして興味はないらしい。展示会場の切れた蛍光灯でさえ購入してくれないらしい。芸術家を目指している若者が言うのだ。ちょっと離れた田舎道に東山魁夷の記念館がある。ここへ教え子が就職してきた。昔、泣きながら、新しい芸術大学へ進学した。美術館の学芸員になった。何年かして近くの役所へやってきた。この日はここで、小学生に日本画の体験講演をしていた。なかなかの試みだと思った。「同級生は来ますか。」って聞いた。「来ません。」***。この子たちはいずれ地域のリーダーになるだろうと思っている。だからこそ芸術を理解する人になって欲しいと思ってきた。
 菓子折り一個持って制作の依頼に行った。生徒会には500円の予算しかなかった。PTAの特別援助3年間分を持っても、一個1000円の予算しかなかった。「無限」と題した彫塑のミニチュア版文鎮だ。生徒の希望で制作依頼に行った。正式の先生の彫塑としてサインも入れていただけた。一円も払えなかった。 長い間義理を欠いたままだった。年に一回年賀状をやり取りしてきて先生の作品に触れてきた。無限に優しい人柄。無限に何を求められていたのだろうか。宇宙。人間の寿命の限界を超えていたのだろう。きっとまだまだやりたいことが沢山あっただろうに。

無限