昔、早稲田大学の発生学の教授が集中講義にやってきた。彼は団勝磨教授の門下生というか、もぐりの学生だった。高校の先生だったらしいが、こっそりと研究室へもぐりこんで学んだらしい。この際だから彼の話を紹介しておこう。彼は高校の先生だった。ウニの発生の授業をした。原腸胚の時期には表面に繊毛が生えている。教科書に図がある。生徒が質問した。原腸の内側には繊毛は生えていませんかって。教科書の図には書いてない。先生も知らなかった。早速調べてみた。というか実際に顕微鏡で見たわけだ。あった。教科書には書いてないが繊毛は生えている。今でも教科書の図は変わっていませんが。
 彼は受精に興味があった。受精の瞬間に卵表面に走る受精波というものに注目していたのではないかと思う。受精する瞬間を観察してみたい。彼は多受精をさせて、切片を作って精子が卵表面を侵入していく様子を撮影した。彼は嬉しかったらしい。が、しかし、アメリカの研究者だったと思うが、たった一匹の精子が侵入する瞬間を電子顕微鏡で撮影した。何枚の切片を観察したのか知らないが大変な作業だったに違いない。その写真を見て彼は自分が恥ずかしくなったと言っていた。はっきり言えば多受精は異常な状態なのだ。この卵はやがて死ぬ。死なないといけない。(言い切るのはいけないかもしれない。)
 受精について言えば、精子が一匹侵入していく様子は必ず撮影できるはずだ。けれどもめちゃくちゃ大変だ。場合によっては一生やり続けても観察できるかどうかわからない。けれども、どれだけ大変でも必ずその瞬間がある。力で突破するのも大切だ。けれども、さっさとあきらめて効率が良い生き方もありだと思う。
 50年近くも前の話だ。多くは忘れてしまった。確かではないかもしれない。間違っていたら、謝るしかないが、彼の話は心のどこかにいつまでも仕舞われることになった。研究するためには実験生物が必要だ。ウニやタコノマクラなどが良くつかわれていた。漁師に採取してもらうわけだ。色が違う2種の初期胚の割球をくっつけて割球の将来を調べる実験だったと思う。1種目は普通の生き物だ。が、2種目は特殊の環境にしか生息していない。言ってみれば食用にならない。普通は危険をおかして漁師が取りに行くことはない。彼は頼んだ漁師と生活を共にしたと言っていた。一緒に船に乗って採取に出たと言っていた。ほかの研究者が頼んでも漁師は取りにいかなかったらしい。そうなんだ。人間だ。
 ある大学からアンケート用紙がやってきた。事務室から普通の宣伝広告と同じように届いた。県内で見たことがある生き物の調査だった。そもそも私はそんなことはよく知らない。それより、アンケートの発信者が何をしようとしているのかよくわからなかった。随分安直な調査だと思った。アンケートには参加しなかった。しばらくして新聞に「県内のタガメは絶滅した」と発表された。へ〜。そうなんだ。嘘だろう。そう思った。このころはちょっとは苦労するが、普通に稀にいた。今は知らない。自分で足を使わないと真実は見えない。アンケートの回答者がわからないまま結論を出すのはどうかと思った。それより自分で歩かなきゃって思う。それぞれの地域をよく知る人と一緒に歩かなあかんだろう。それでも誤りがあるかもしれない。間違っていたら謝るしかないが、それなら、きっと、許されるだろうって思う。
 

今となっては昔の話

多分、あれは遠足の日だった。何か問題が起きると困るから、現地のお土産売り場などに本部が設けられることがある。皆、それぞれ想う所へ出かけていった。ところが、一人睨みつけるような厳しい顔をして本部に残っている者がいた。何が起きているのか全く分からなかった。私は担任を持っていなかったから気楽に「どうしましたか。」って聞いた。「うるさいなあ。」随分ぶっきら棒に怒っていることが分かるように答えてきた。何か悪いことをしたらしい。一人だけ外出禁止になっていた。悪態をつきながら、今にも何かを蹴飛ばすような勢いで、ありったけの憎しみを込めて話してきた。これは先生だって悪い。このままでは何ら得る物はない。むしろ、ことは悪化するだけだ。30分ぐらい黙って聞いていたと思う。「そうか。・・・。そうなのか。」って。「目障りだから、はやくどこかへ行け」って言われたが、なんだか仲良しになった。
 学校へ帰ったら、時々やってくるようになった。「たばこを下さい。」などとわざわざ怒らせるようなことを言いながら。「下らないことで人生を棒にふるな。」って言った。あれだけ言っておいたのに、しばらくしてある日、先生と授業中に大喧嘩をした。暴言を吐いて、蹴飛ばして、逃げていったらしい。体育館の裏に数名の仲間とともにバリケードを張った。教員は誰も近づけなかった。このまま放置しておけば、彼が益々不利になるだけだ。黙って見ているわけにはいかなかった。私は彼に話をしに行った。彼の仲間が私の行く手を拒んだ。声が聞こえていったのだろう、けれども、彼は話をするから通せって言ってくれた。何を話したか記憶にないが、嬉しかった。私は彼を卒業させるつもりだったが、彼は黙って学校を辞めていった。馬鹿野郎って思った。もう少し時間が欲しかった。
私は「でもしか・・」だった。彼は私に何も言わないで、会いもしないで姿を消していった。「馬鹿者めが。」って呟くしかなかった。学校は名誉と評判のためにただ退学させれば良いって思ったのだろう。どうでもいい昔の話だ。けれども、今でも、彼は元気だろうかって思っている。あの時の彼は自分のなかでは正義を貫いたのだろうが、あれでよかったのだろうかって思う。
とっぷう