もう日本には戻らない
 ・・・学校へ行くのはもうだめだと思う。みんなも同じ気持ちをもっている。でも、マレーシアに帰りたいので、私には我慢しかないで、頑張ろうと願う。いつも、神様にお祈りした後、「私に力をかしてくれないか」と願う。そうか神様にお祈りしているのかと思ったけれど、私には頑張れって言うしかありませんでした。
 そういえば苦しんでいたのはFさんだけではありませんでした。いつだったか、私は出張で富山に行くことになった。どんな仕事だったかはもう忘れてしまいました。でも、忘れられない想いがひとつ残こることになった。富山大学にZさんが留学している。3時間ぐらいの時間を作って会うことにした。おいしい店があるからと駅の近くでスッパゲティーを食べた。なるほどおいしかった。久しぶりの再会でした。楽しい話がいっぱい聞けると思っていました。
 私は楽しい留学生生活を送っているものと信じていました。けれども、彼女から出た言葉は思ってもいなかったことでした。
 「先生。本当は学校をやめようと思っていました。」・・・。「えっ?」 試験は分からないし、単位は取れないからもう駄目だと思ったと言っていました。「先生。私、国へ帰ったんです。もう、日本へ戻るつもりはありませんでした。」・・・国へ帰ったらお母さんが一生懸命説得をしました。「一生懸命頑張ってきたじゃないの。」「今、やめたら何のために頑張ってきたか分からないじゃない。」・・・涙ながらに説得するお母さんの姿が思い浮かびました。
 彼女は日本に再び戻ってきました。けれども、問題は全く解決されていませんでした。大学を卒業できないという状況には少しも変わりはありませんでした。どうしようもない窮地の中で彼女はもうどうにでもなれと思ったと言っていました。試験。どうにでもなれと思って英語で書いたそうです。「先生、日本の大学の先生が英語を読んでくれると思いませんでした。」「単位が取れました。」やっと卒業できる道が見えてきました。
 イギリスの統治下にあったこの国では英語のほうがはるかにできる。英語なら、ちゃんと問題が解けるし、説明もできるのです。
 ほっとしました。よかっった。大学の先生に感謝しました。やっと勇気を持って日本で学ぶことに前向きに進むことができるようになっていました。
 日本の大学を苦悩の末、卒業した。マレーシアに帰った彼女からやがて手紙が届きました。結婚しました。・・。日本で学んだことをマレーシアで生かして幸せに生活をしてほしい。
 さいごに、東京へ行ったS君は日本で再会を果たさないままマレーシアへ帰ってしまった。苦しんでいることは聞いていましたが、私には「大丈夫です。」と言い続けていました。東京へ行くことがあればと機会を待っていました。やっと行けるようになった時には、もう、日本にはいませんでした。Zさんのように英語で勝負したら卒業ができたかもしれない。ペナン島の近くのバターワースという町に住んでいるはずです。何時かこの国を再び旅行することがあれば、彼にも会ってきたい。授業が終わると、日本語が出てこないから、じれったそうに「先生、分かりません。・・・」って言いながらやってきた彼を思い出しています。
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次回こそ本当に最後にしようと思います。
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