これはベルリンの壁です。平成2年9月中旬です。15年も前のことです。この壁の崩壊はすでに始まっていました。歴史的大事件の瞬間を私たちは歩いていました。ベルリンの壁のかけらが数マルクで売られていました。考えてみれば単なるセメントの塊です。それだけのことかもしれませんが、私はこのかけらを2個買ってまいました。このセメントの塊はこの時から僕と一緒にヨーロッパを旅することになったが、スーツケースの中でごろごろ転がりまわって結構面倒な相棒となった。日本に持ち帰ったけれども、今はない。日本の学校で苦しんでいた生徒に君も頑張りなさいと言ってあげてしまった。まだ彼らが持っているのかどうか分からない。ここからは当時、書き記して置いたものです。
いよいよ東西ベルリンの視察だ。私たちは東ドイツのぼろぼろのオンボロバスに乗り込んだ。座り心地はきわめて悪い。背筋が痛くなる。私たちはまず、旧チャりー検問所へ行った。ガラスが一部割れている。昔、ついこの前までかもしれないが、ここで血が流れたと思うという言葉がない。じっと、黙してここを通過した。国家とは何かと思う。ある日壁が作られて東西に分けられてしまった。無理に行けば血が流れることになる。ロープを伝わってこの壁を乗り越えたもがいるとも聞いた。悲しいドイツ国民の歴史の始まりだった。今、東西が再び統一されようとしている。でも、これですべてが解決されるというわけではない。歴史は分断の後遺症を背負って進むことになるだろう。
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東ドイツの子供達からーベルリンの壁崩壊ー
歴史の瞬間の町を歩く
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