久しぶりに名古屋へ行ってきた。昔自分が若かった頃のことを思い出した。あの頃ここには蒸気機関車が走っていった。真っ黒い煙を吐き出しながら、くじらが潮を噴くように山間を走った。あの丘のクジラの汽笛は何時でも心を踊らせたものだ。一斉に窓を閉める。何時でも混んでいたが、あの日は特別だった。車両の中に入れなかった。しかたがないのでデッキに乗った。それも悪いことに先頭車両の近くだった。その頃のデッキには扉はなかった。汽車がトンネルに入れば最悪だ。真っ黒い煙が顔に吹き付ける。たいていトンネルを出ると煤で黒くなっている。自分では分からないが、友達が自分のことは差し置いて笑うから、顔を拭くのだ。あの日は石炭を焚いている蒸気エンジンルームの近くに乗った。息苦しくって、死にそうになった。車両入口付近に乗っていた女性が周りの客を掻き分けて、無理やり扉を開けてくれた。内へ入りなさいというわけだ。優しさがとても嬉しかったことを覚えている。
さて、時代は随分変わっていた。皆スマホと格闘していた。昔のようなギュウギュウの満員ではなかったが、三分の一ぐらいの人が手にスマホを持った新人だった。周辺のアジアの国に遅れて日本で携帯電話が普及し始めたのは20年から30年前のことだった。学校では必死に携帯電話の普及に逆らって、戦った。今は戦う気力もないのだろう。世界の流れに遅れてはいけないかもしれないが、それで本当に良いのだろうか。行きも帰りも本を開いている人は一人しか見なかった。新聞などは一人も開いていなかった。
コンピューターが普及してきて、パワーポイントのようなプレゼンテーションソフトが幅を効かせてきた。生徒たちに何か発表会をやらせると実にうまくなってきた。けれども、多分内容は落ち込んできた。ネットで拾ってきて、パワーポイントで格好良くまとめる。僕の一番嫌いな形だ。これで日本の創造力が培われるのだろうかと思う。昔数学の問題をやらせるとプリントの端の空白で計算をする生徒がいた。私はそんな小さな空間で考えるのはやめなさいと言った。自分の考えを周りに合わせてしまう。小さな空間で考えられることしか考えないようになる。(いっそうこと、ホーキング博士のように紙なんかないほうが良いかもしれないが、私には無理だが。)
私は自分のHPは携帯用に作っていない。何処かに携帯用に変換しないで下さいって書いてありますが、全く役に立たない一文でした。けれども、小さな空間でちょっことずつ考える人になってはだめだと思う。
日本が今苦しんでいるのはIT産業への参入に遅れをとったからだと思っているが、スマホを普及させれば解決できるとは全く思ってない。日本人が皆、英語を話すことができるようになれば良いわけでもない。プレゼンテーッションがうまくなっても一時的に良くなるだけだろう。慌てないで学問の自由を大切にするしかないと思う。馬鹿みたいに真っ直ぐ進む人を応援したい。
これは野良猫です。何匹いたのでしょうか。皆誰かが捨てていった者たちです。退去命令が出されました。保健所へと言う意見が出ましたが、(今は保健所は拒否するそうです。)捕まえることができる人は殆どいませんでした。全員ある人の家へ引き取られ保護されていきました。これで本当に問題が解決したのでしょうか。