ジブラルタル生命の「先生あるある」のアンケートを読んだ。一位は「夏休みがあっていいね」って言われる。今はそんなに良いことはない。仮に一か月ほどまとまって休暇があって、あと11か月休みがないとしてだ。そうすると休日の数は結構あるから、良いだろうって言うかもしれない。でも、それはちょっと違う。昔、夏休み中に有給休暇を取れって言われたことがある。それもちょっと違う。単に都合が良い数合わせだろう。教員の健康を本当に考えているのか甚だ疑問だ。僕は絶対長期休暇中には年休は取らなかった。意地だ。年休ってそういうものじゃないと思っていいる。教員は研修をすることができる。自宅研修願を出せば、学校へ行く必要はなかった。昔学生時代に尊敬する学生が3人いた。一人は先輩、植物名なら何でも知っていた。葉の燃えさしがあれば、名前を言い当てることができた。もう一人は後輩だ。高校生時代に牧野の植物図鑑はすべて覚えたらしい。3人目は同級生だ。「自分はたいしたことはない。」って言っていたが、私から見れば何でも分かる学生だった。「身の周りの植物なら数百も知って入ればほとんどわかる。中学校の英語の単語数よりはるかに少なくていい。」って言っていた。ある夏季休暇期には暗くなるか、毎日蛇に3回会うまでは採集を続けようって思って、植物採集に出かけた。植物名を記憶する最善の方法だと言っていたから。新聞紙に挟んで標本を作った。100種ぐらい標本を作るとそこそこ分かるようになった。でも、最近はそんな制度があることは伏せられている。県が実施するような研修会に半日ぐらい出席しても、分かるようにはならない。
 数十年も前に教員になった時、日本の高等学校はもっと自由だった。新任研修が一年に一回だけあった。校長の訓話があった。「別に遅刻してきてもかまいません。電車の都合で間に合わないこともある」って言われた。「担任がなければ授業に間に合うように来ればいい」「ただ、***だけは絶対しないこと」それだけでした。昼休みは今は多分外出出来ないか、許可がいると思うが、当時我々は自由に食事に行った。昼休みは勤務時間じゃないから、本当は問題ない。たまに校長が校門に立っているから、「行ってきます」って言えばよかった。小中学校は給食があるから、はっきり言えば昼休みはない。この時間帯は授業がないだけだ。言ってみれば、ボランティア残業に他ならない。 最近は朝の勤務時刻は厳密、時には朝トレーニングとかで30分ぐらい早く、、厳密なのに、帰りの勤務時間は無限っていったいなんだ。このボランティア残業にはだれもありがとうって言わない。自分のクラスではなかったが、家の都合で家では夜勉強ができないと訴えてきた生徒のために、夜、夜10時ごろまで付き合った時もあった。どうせ一人面倒をみるなら、もっとたくさん学校に残ってくれてもかまわない。他の先生に強要したことはないと思っているが、何人かの先生は学校に残ってくれた。質問のある生徒をずーっと机に座って待っている数学の先生は生徒には神様みたいな人だった。このボランティア残業には報酬はない。けれども、ありがとうございましたって卒業式には言ってくれる。私は何時だって、特に仕事がなければ、早く帰っても非難されることはないと思っている
 ついでだ。何処の学校でもそうだと思うが、卒業アルバムを作っている。生徒一人当たり一万円から一万2,3千円ぐらいだ。教員には生徒の顔写真だけの、縮刷版が無料で配布されてきた。3年の担任は一般的に無料だった。ある先生が職員会で教員もお金を払うべきだと主張した。で、教員も欲しければ買うことになった。が、先生が金を出したからと言って、生徒のアルバム代が安くはならない。写真屋は必ず余分に印刷します。学校と教員分は今はその余分の部分を出しているらしい。だからここは乱調があっても仕方がないと言っていた。教員分も含めて注文すれば、同じように一冊一万から一万数千円で請求書が来る。そのすべての注文冊数に乱調は許されなくなるからだ。仮に先生分に支払いが発生したとしても、、「私はアルバム一冊分ぐらい贈ってもらえることはしてきた」と私は思っている。生徒たちに聞いたらいい。担任の先生に寄贈しますが良いですかって。で、それ以来、アルバムを持っていない。町で出会っても、記憶を辿ることはできないかもしれない。まあ、それでも良いだろう。どうせいつまでも生きているわけじゃない。同窓会があっても思い出せない者もいるだろう。ついでに、どうしても、まったくわからない思い出せない教え子がたまにいる。顔を見ても全く分からない。アルバムをみても。
 年に一度ぐらい遠足が実施される。本当に歩く学校もあるだろうが、貸し切りバスで行く学校もある。大抵は修学旅行中に先生が足りない時に実施される。それなら別に歩くことにこだわる必要はないと思う。「遠足に行けて良いですね」って言われることがある。何が良いものか。昔はそれなりに出張旅費が出たが、それは給料の2重取りだって言われるようになってきた。でね、教員も貸し切りバス代を出せって言われた。行きたくもないのに自腹を切ることになる。出張旅費なら一日300円程度のものだ。そこからバス代でも払えばマイナスになる。それなら遠足の引率はしない。結局支払われることになったが多分県費じゃなくてPTA費からだったと思う。ついでに水族館とか動物園の入場料は教員個人で支払えって言われた。それなら、入館しないで入り口で待っています。って言った。で、これもきっとPTAが支払うことになったと思う。馬鹿じゃありませんか。こんなPTAで払えば良いといった解決方法ではそのうちもっと泥沼になるだろう。
 「修学旅行に行けて良いですね」って生徒達から言われる。何も言い返さないが、何が良いものか。3泊4日の一日24時間勤務だ。私は晩酌はしない。が、生徒は酒は法的に禁じられているが、先生は違う。私は一旦最終点呼が終われば、部屋で飲めば良いと思っている。法に反する行為じゃないと思っている。生徒が叱られるのは法に反しているからだと思う。先生はタバコを吸っても問題はない。めちゃくちゃ言われることじゃないと思う。そもそも教員はタダで行くわけじゃない。昔は出張旅費から払っても少しぐらいは残ったが、今はマイナスになることがある。冗談じゃない。24時間勤務だ。大抵一人や二人は体調を壊すものがいる。時には付きっ切りで、看病している。一人戦力から離脱すると他の職員の負担が増える。で、ね。飛行機代、バス代は生徒と教員で割り勘になる。ホテル代はもちろん生徒と同じ。時として教員の出張旅費では足りなくなる。すると自腹の請求が来る。ふ〜む。この自腹をどうしたのか記憶にない。で、つまり、一日当たり24時間勤務で、最後は請求書がくるような旅行だ。旅行先で生徒に奢ってくれって言われたら、かなりマイナスになって帰ってくるわけだ。
 昔、海辺にある自然の家へ修学旅行で行った。我々が入所すると、数十名の不良ポイ集団が宿泊していた。女生徒に挑発的叫び声を出してきた。ひょーとかひゅうとか。指笛のピューとか。田舎の普段粋がっている男子生徒も怖がって「先生、怖いね」って近か寄ってきた。やがて夜になった。まさかこの連中、こんなに多くの女性徒の宿泊棟へ忍び込むものはいないだろうと思った。宿泊棟の出入り口には施錠はない。が、「大丈夫だろうか」って意見が出た。徹夜で宿泊棟の出入り口を警備することにした。翌日引率教員は疲れ果てて退所することになった。船に乗った。疲れた教員は船の特別室でやっと眠りについた。生徒がやってきて「先生はずるい」って言った。これは事情をどうしても説明しておく必要があると思った。納得させて一般席に移動させた。24時間勤務って、こういうことがある。でね。この業務に対して何ら報酬がない。「ありがとう」ぐらい言ってもらっても問題はないと思う。ついでだけれども、ホテルがダブルブッキングになっていたことがあった。夜、2時ごろに先方のホテルへ修学旅行の意義を説明に行こうとしたことがあった。結局先方のホテルのオーナがこちらへやってきて謝ってくれたことがあった。随分長い間交渉をした。
 良いね。って言われることがあるが、もろ手を挙げて良いってわけでもない。

 夏季長期休暇、夏休みが終わった。よくあることだが、最後の日にPTAが除草作業をすることがある。PTAだから土曜日とか日曜日に実施される。教員は勤務日じゃないのだ。管理職は教員の参加は強制じゃないと言ったらしい。しかも突然。参加しなかったらしい。前日は部活動の指導があった。最後の休日だった。管理職に呼び出されたらしい。「何で来なかった?普通来るもんでしょう。」もう学校は腐っている。

 腐った管理職と言えば昔こんなことがあった。ある生徒が昼休み学校から外へ出て、帰ってきた。ちょうど、見回りの教員に出会った。タバコを所持をしていた。どうしたんだろう。理由を聞いた。「僕は虐められているんです。」「今日も筆箱を接着剤で・・・。」「女子も僕を虐めるんです。」「どうしようもありませんでした。」ぼさぼさの頭を掻きむしりながら、「学校を止めなくちゃいけないのでしょうか。」泣きながら言った。「絶対辞めるって言うな」って言った。彼にどんな原因があるのか知らないが、虐めるやつが悪い。次に虐めがあったらどうするか。「教員はすべて君の見方だ」って言った。まずは先生に助けを求めることだ。それが無理なら校外なら警察に助けを求めても良い。学校における僕の居場所も話して、逃げ込んでくれば良い。間もなく校長室へ呼ばれた。労ってくれるのかと思った。「学校は責任を持てませんよ。」って言われた。腹が立った。虐められている生徒を助けられないような学校は学校じゃない。何ができるか分からないかもしれないが、最低でもそうゆう努力がいる。
 これも昔、女子だった。教科書が消える。カバンが勝手に歩いていく。体操服がなくなる。典型的な虐めのケース。進学校だった。学年集会を開こうと思った。担任の先生が保護者を説得した。全員の前で今起こっていることを公表することを躊躇していた。事の成り行きを見守っているだけでは問題は決して解決はしない。集会でまず訴えることだ。やっと保護者と本人の同意を得ることができた。でもしかし、学期末だった。間もなく定期試験が始まる。教員の反対にあった。「集会なんか開いてもねえ。??」「虐めらる本人にも何か問題があるかもしれない」馬鹿言っちゃいけません。気に食わないから虐めても良いのかね。・・試験なんかどうでもよかった。学校にはもっと大切なものがある。校長室に呼ばれた。またかって思った。が、「このことはすべてお前に任せる。」と言われた。で、学年集会を開いた。今学校で起こっていることをすべて話した。豊かに生きれる学校にして欲しいって訴えた。・・・これで良かったかどうか知らないが、教科書が消えることはなくなった。体操着が一人で歩いていくこともなくなった。
 ついでだ、ある日、掃除の時間だった。箒を振り回して一人の女生徒が走ってやってきた。猛烈に怒っていた。どうしたんだろう。「先生、聞いて」「**先生に、お前は尻軽女」って言われた。「意味が分かるよね」って言って、何かを殴りつける勢いだった。ふ〜む。怒って当然だ。どういう場面で、どういう意味で言ったのかはよく分からなかったが、許されるような言葉じゃないと思った。「君は素敵な女性だ」「僕は良く知っている」って言った。この子は教員には誤解されることが多かったかもしれないが、自分なりにけじめをつけて生活をしていたと思っている。いずれにしても、先生の発言は許されるものではなかったと思う。ただ、この生徒はいつでも僕のところへ来るようになった。怒る時はストレートだ。で、やがてこの許されざる先生は校長になった。冗談のような人事だった。

 これも随分昔の話だ。何が明らかになったとしても、今ではもうどうでも良いだろう。修学旅行で飛行機に乗った。生徒はキャーとかワーとかやかましい。学年が全員ひとつの飛行機に乗っているわけではない。半分ずつ分けて乗る。だから結構一般の客もいる。隣の紳士には申しわけなかった。丁重に謝った。観光協会の理事?だったらしい。今後とも修学旅行生に来てもらえるには何が必要なのだろうか。反対に意見を聞かれた。一時間だったのか二時間だったのか分からないが、話し込んでフライトを楽しんだ。彼は本業はスナックの経営者だった。夜、店へ来てくださいって言われた。無料にしますとも言われた。でね、僕は修学旅行の引率中の訳だ。丁重に辞退して別れた。 
 ここまでは何も問題はありませんね。この修学旅行の責任者は教頭だった。ホテルに後の班に合流して午後4時ごろ着いたと思う。教頭がやってきた。外出するらしい。ホテルに帰ってくるのは明朝になるらしかった。何処へ何しに出かけるのかは分からなかった。後はよろしくお願いします。そう言って消えた。どうせ足でまといだから、いない方が都合が良い。旅行のスケジュールを全く知らん責任者なんかいてもいなくてもどうでもよかった。僕らは一年もかけて計画を立て、実施している。でも、これはばれたら大問題だ。仮に事故があれば首が飛ぶ。ホテルにはプライベートビーチがある。もちろん海水浴は許可をした。すぐ、教員が海の監視に交代で出た。プライベイトビーチがあることは知っていたが、プールの存在は知らなかった。プールがある。禁止した方が良いって言う意見があったが、許可をした。ホテルの専属の監視員がいた。教員も一名プールへ行く余裕があった。施設は最大限利用すれば良いと思っていた。私はデモシカ先生だったけれども、迷惑はかけたことは無かったと思っている。
 彼はその後校長になっていったが、どうなのよって思っている。尊敬出来る人物とは言い難い。
  

 ちょっと早いが暇だから、年賀状を作り始めた。来年はウサギ年だ。12年前に使ったウサギのフリー画像を入れることにした。このウサギ円形に配置すると、書いていない渦が見える。それでも良いかとは思ったが、12年前と同じじゃね、でもねと思って作っている。太い水色の十字に斜め対角線が赤色がかって見えるが、赤色は使っていません。何故赤く見えるのでしょうか。水色の補色だと私は思っています。視線をここに固定すると赤色は消えると思います、
 見ていると視線を変えた時ふっと動いて見えると思います。どうしてでしょうか赤色の斜めの線群が並んでいるからだと思います。この線群が見えることによって画像が立体的にこの平面以外の所にあると理解するのだと思います。視線方向を変えると位置が変わって理解されるのだと思います。他の簡単な画像を使って作ってみます。ただ、はがき大に縮小したとき上手く見えるかはまだわかりまsん。
 年齢を理由に年賀状のやり取りを止めるという人がいる。我々はそんな齢になった。寂しいが、それで良いかと思うが、僕はもう一年は…と思っている。

 幼稚園児が送り迎えのバスに閉じ込められて死亡した事件はあまりにも悲しすぎる。何でこんなことになってしまったのだろうか。普通に十分注意していれば起こることがない事件だと思う。しかも、公表された2例目の同じ事故だ。厳重な注意通達が出ていたに違いない。
 私は高等学校だから、こんなことはないと思うが、点呼は何度もやった。修学旅行、遠足・・・・。その場所その場所でのバスの出発には必ず点呼した。高校生だから、学級委員長が普通は点呼する。私はこっそりと目で人員を数えた。級長の報告と私の目での点呼人員数が一致すれば出発をした。バスは号車順に出発するが、2人の数が合わないと出発させなかった。一台だけ遅れて出発することもあった。バスは迷惑かもしれないが、その方が間違いがない。もっとも高校生だ。置いてきぼりをしても自分で帰ってくるだろうと思う。昔、違っていたらごめんなさい。青年劇場の監督だったと思う。その前は高等学校の先生だったたらしい。出発時間に遅れたら、本当に置き去りにして出発してしまったらしい。それ以来、ひとりも時間に遅れる者はいなかったらしい。あの先生は待ってくれないことで有名になったらしい。一度やってみようかって思ったが、きっと後が面倒だから、やめた。というより、自分も遅れたことがあった。で、昔は45名は数えた。2,4,ロ、パー、10。12,14、・・・・。で、最後は車内を眺めて下車をする。必ず、運転手が最後尾まで忘れ物がないか確かめて終わる。それでも忘れ物がある。必ずすぐ送ってくれる。修学旅行での一日の最終点呼は厳密に行ったつもりだ。昔、2名いないことがあった。3回ほど点呼をし直した。すでに寝ていた生徒は3回も起こされるわけだ。それでも見つからなかった。外へひとりで探しに行こうかと思った。きっとどこかにいるから、まあ、いいじゃないかって思うかもしれないが、担任の先生にもう一度点呼していただけた。ベランダで時を忘れて話し込んでいたらしい。青春だと思うが、絶対怒らないと言ったのに、怒った。「どうでも良い生徒は一人もいない。いなければいつまでも探す。」命に係わる問題だからだ。全員無事に帰らないかん。そう思っていた。
 で、普通に注意しておれば、この事故はあり得ないだけに。亡くなった園児がいかにも可哀そうだ。楽しい一日になるはずだったのに。。
 ついでだ。高校生の時だ。修学旅行で帰ってきた。当時営業したばかりの新幹線で名古屋まで来たと思う。そこで解散。在来線で帰ってきた。う〜ん。随分疲れていたのだろう。寝てしまった。とんとんとん、と肩を叩かれた。車掌さんだった。終点ですって言われた。周りには誰もいなかった。あれ。乗ったときは何人かの友達と一緒だったはずだ。誰も起してくれなかった。そのまま乗っていれば多分また、名古屋に行ってしまったと思う。そう言えば、気が付いたら車両庫だったという先生がいた。で、私は家へ帰って、丸一日寝ていた。修学旅行の次の日は休みだったはずだ。が、明日は学校があるって親に言われた。はあ?なんだか一日損をした。どうでも良い話だったが、命に係わる点呼は確実にやらないかんだろう。

 

先生あるある